両部鳥居の代表的存在 厳島神社
船から見た両部鳥居 満ち潮の線と人の高さも分かる。
両部鳥居は冒頭の写真でその姿・形は、すぐにご理解いただけると思います。
安定感抜群の鳥居です。大概朱色に塗っているからよく目立ちます。
これまでに出合った両部鳥居: 地理的に北から南へ
1. 青森県弘前市 弘前八幡宮 平地・市街地
(2010年4月 撮影)
この神社は、弘前城に鬼門に当たるこの地域に、その防御の為弘前城主が
別の土地からこの神社を移築させたとあります。
それ以前の事は分かりませんが、神社仏閣はこのような理由もあって離合集散
が数多くみられますので、昔はどうかと考えるには時間が必要だろう。
2 福井県敦賀市 気比神宮 平地・市街地
この地方の一宮であることがこの立派な鳥居にも表れております。
境内にはもう一つ鳥居があり、やはり両部鳥居でした。
中の門
3. 兵庫県三田市 天柏神社 丘陵・山の端
両部鳥居としてはこぶりですが、高台ですから素晴らしい景観です。
高台にこのデザインを選んだとしたらその決め事は素晴らしい財産を後世に
残してくれたのだと思います。
今は三田市内ですが、江戸時代は別の藩に属していたはずでした。
この地域の神社がほとんどお全て明神鳥居なのにここが何故両部鳥居なのか、
情報はありません。
ある紀行文にこの地域が洪水にあいやすい地形なので、洪水でも破壊されない
構造として両部鳥居が採用されたのだろうかとあったように記憶しております。
4 広島県 厳島神社 海中
干潮時を狙って参詣したので、こんなシ-ンが撮影できた。
屋根下には厳島神社と刻まれた扁額が海側、岡側にそれぞれあった。
2012-03-23 ご紹介の両部鳥居(お借りした写真です)
昨年NEHKの大河ドラマ「平清盛」でさんざん紹介されたことともいますが、ここ
で両部鳥居になってから9代目とか、しかもあの海中で固定されていないまま
存立出来る不思議さ。
昨年完全に潮の引いた海中で鳥居に接して分かりましたが、大きな潮汐作用も
考慮に入れた仕組みであることが分かりました。
素材は楠と聞いておりますが、檜や杉などと異なり枝の張りは大きいのですが、
上空へはあまりまっすぐ伸びた木を見たことがありませんし、大木になるまで
何年かかるのでしょうか。探すのが大変ですね。
5. 宮崎県宮崎市 青島神社 海岸
おかっぱ頭の形の稚児柱が両サイドの2本ずつ、それに2個の貫?が通っている
地元では権現鳥居の呼称が通りがいいかもしれない。
ここは青島の海岸ですから、潮と海風、両方を考慮しての両部鳥居かと思われ
ました。
この鳥居が何故両部鳥居を呼ばれるか、その歴史的発端なども含めて、あまり明
確に知る手がかりをこれまで見たことがありません。
稚児柱が鳥居の両側に立っているので、別名お稚児柱鳥居と呼ばれることもありま
すが、神仏混淆の時代にその出自があるとすれば仏教と関連があるかもしれませ
んね。(愛姫伝のご紹介の中で、若干引用させてもらいました)
両部鳥居の別名
稚児柱鳥居
権現鳥居
四脚鳥居
枠指鳥居など
参考情報
これまで私が直接拝観の両部鳥居は、平地、丘陵、海岸、海中に建っておりました
山中はどうか。
それがあるんですね。
ブログ「愛姫伝」に見られた両部鳥居 (愛媛県) 三滝神社
三滝神社 両部鳥居 屋根裏が見えますが、桧皮だ葺いているのでしょうか。
ブログ「愛姫伝」三は愛媛県下の神社などを取材されてブログでご披露されておりま
す。
両部鳥居についても、その意味として{両部とは密教に於ける金胎両部(金剛界、
胎蔵界)を言う}と説明しておられました。
明神鳥居などの数に比べると、その数は大変すくないのですが、これからもチャン
スがあれば両部鳥居のある神社をお訪ねして、神官や社務所の方に両部鳥居の意
味や意義をお訪ねしたいと思っております。