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三田のいのしし 見て歩き日記

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2014年01月19日
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カテゴリ:話題

1995年(平成7年)は、私も含めて昭和10年(1935年)生まれの人間にとっては、

定年退職の年であり、それ以降の人生の再設計をあれこれ思い悩む年でもありました。

そんな一般論に加えて、平成6年の会社定期健康診断で胃潰瘍が見つかり「今はいい

薬がありますからね、あまり時間がかからず快癒しますよ」と告げられた。

こんな診断の後、薬のご配慮までしてもらったのが、現在名で「神戸百年記念病院」と

呼ばれているいる病院であり、神戸市長田区にある総合病院です。
病院の桜
2013.04.02 何もなかったかのごとく華やかに咲く桜の花
昨年の人間ドック入りの日 

1. 其の1995年の最初の診断が1月下旬であり、予定していたらこの地震で吹っ飛ん
   
   

   だ。「あんた何考えとるのよ、病院の廊下もどこも震災の怪我人でいっぱいで一般

   診療など当分の間できないよ」 と手厳しい回答。

   一言言いたくても事情が事情だから、その判断に従って待つことになった。

   何、薬を長く飲み続けるから胃潰瘍は更に良くなって、次の診察日には、ハイ全快

   ですよとの言葉をもらえる・・・・になるはずだった。

2.  三田市から神戸へは神戸電鉄の電車か神姫バスのバスに乗って通う方法と

   妻が運転する車でで向かう3通りの方法がある。(プラス尼崎廻り電車)

    3月のある日、いずれかの方法で兵庫まで向かったが、神戸市街の損傷ぶりに

   目をそ
むけては通れない場所に住んでいて、こちらも軽くても地震の被害者でるこ

   とには変わりはないので、やはりみなさんが一日も早く立ち直ってくれるよう祈りな

   がら通う事になった。

   ※ 三田から三宮経由で兵庫へ向かうのでその中間点の三宮 震災被害の光景
  

     生田新道界隈生田新道。東急ハンズの前あたり
     ネット検索でお借りした写真ですが、三ノ宮駅から六甲山に向かい右手の

     道路の左側奥にある大きなビルが倒壊して斜めになっている光景が私にとって

     最も印象に残った景色でしたが、写真が見つからない。

   思えばこれが6月10日 胃がんによる胃の2/3切除手術後入院1か月後の正式

   退院へと繋がる神戸通いの第一回目の神戸行きだった。

3. 1995年3月某日? 神戸百年記念病院 内視鏡検査室

   早速内視鏡による検診が始まった。

   すぐ終わるのかと思っていたら、昨年同様胃壁検査の為、あのウナギ釣りのような

    長い物を内視鏡の横から差し込んで、やたらせっせと胃壁の採取をするではあり

    ませんか。

    ようするに治ってなかった、さらに最悪の疑いが出たということらしかった。

4. その後日。結果の告知、治療における患者本人への問いかけがあり、私は即時

   手術の道を選んだ。(非常に初期の胃癌でストの表現だった?)

   (1) 内視鏡による手術をトライしたいと言う医者側の申し出を受け入れて4月中旬

       に実施(現在の内視鏡手術とは異なりポリ-プを輪切りにする方法の応用)

   (2) 5月10日再入院、18日通常の外科手術で2/3胃の出口側を切除

       6月10日退院。

5. 決して正確な表現とは言えないが、この1995年頃から手術後本人の回復を早める

   為には、本人も寝てばかりいないで、起きて歩き運動することが良いという考え方が

   普及し始めの頃だったと思う。こちらは体験するまで全く知らなかった。

   主治医の先生から家内も立ち合いでその手術後の生活ぶりを聞かされて了解した

   が、結局何もわかっていなかった。 

   (1)19日の朝、集中治療室からベッドへ帰るよう求められた。

      起き上がったら、いきなり自分で歩けるものなら歩いて帰れ、と言われたのが

      驚きの始まりであった。

  (2) それ以降は、それ歩き方が足りない、シャワ-も出来れご自分でどうぞ、

      ちょっと良くなったら病院を出ても良いから散歩をして回復に努めよなどなど。 

6. 兵庫の御崎地区から菅原市場などのある山側へと散歩の足を延ばして歩き回った

   
   (1) 清盛塚  病院から山側へ向かって歩くと間もなく出合う。
      清盛塚 ・十三重塔
       今は整備されてこの姿に復元しているが、当時はここが清盛塚だと分かる

       程度であったと思う。 

        尚、この地域に平清盛公のご遺体の一部が納骨されているが、その場所は

       今もって分からないそうだ。この塔は供養塔らしい。
   

     (2)兵庫の大仏 日本三大大仏の一つ 1891年(明治23年建立)
        兵庫大仏
        宝積山能福寺 震災後の5月頃もこの状態であり、参詣できました。

        能福寺の境内にある清盛廟(平相国廟)
         平相国廟
         境内にあるそうですが、ここにも十三重塔があるようです。
   

   

         平相国廟とあるからと言って、ここに部分納骨されている確証はないらしい

    

         1995年5月下旬から6月10日までの間に、体験帰宅の日を除き、婦長さ

         ん以下の皆さんの大なる激励の元、歩き回った。主に六甲山に向けてある

         きまわったが、平相国(平清盛)廟は気が付かなかった。 
      

 7. この時、菅原市場はかなり整理が進んでいたものの1月17日から見れば4か月余

   りであり、大変な状況だった。

   大木本美通氏が撮影された22000枚余りの写真がネット公開されていた。
   菅原市場らしい地域
   ズバリ菅原市場の跡かどうかは不明ですが、震災後の姿です。

    ある所のご尽力でこの膨大な写真が整理されて、保存されているそうです。

   丹念に探せば私が歩きまわった1995年五月から六月初旬の菅原市場も

   そのものずばりのお写真に出合うとおもいますが、こんな感じでした。

   
    
 
8. 清盛塚なども何回か廻ったし兵庫駅は御崎町の先端などもうめちゃくちゃに歩き回

   った。

細かな表現でその当時の事をすべて語りつくせるものでは無いが、1995年6月10日

退院以来、治療と検診並びに制癌剤などの薬の受領の為、月に1回三田市からこの神

の長田まで通ったからこの街の復興ぶりも眺め続けることになった。

その後は年に1回の人間ドック入りの形で、胃がんの再発やタ部分への転移などの検

を受けてきた。

例年ほぼ4月に人間ドック入りをするので、今年も多分4月頃予約を取ることになるだろ

うが、その時の判断で生田神社や湊川神社へ参拝したりの病院通いです。

余談ながら:

ある年の4月25日、人間ドックの内視鏡検査室の控えの部屋でテレビを見ていたら

尼崎でJR福知山線の電車が脱線事故をおこなして大参事が発生した模様・・・

そんな画面が現れて驚いて見た記憶がある。

1995年の大震災と個人毎ながら胃がんによる胃の2/3切除とその後体重が78KG

から57kgまで減少しての回復過程、長年勤めた会社からの退職による生活の激変

などと共にこの尼崎のjr脱線事故に伴う大勢の人命損傷も忘れることのできない

出来事でした。

 

 

   

 

 

  

  

 






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最終更新日  2014年01月21日 15時36分03秒
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