2月9日(月)晴
宝塚市・売布神社に詣で、今でもその余韻に浸っております。
ご本殿
ご本殿と同じ高さで、右手から見た様子。
比較的狭い境内で、朝9時20分朝日が左半分で輝いていた。
ご近所の街から標高差で言えば5,60mかもしれませんが、神社の近くから急にせりあがっている
ので、石段が何回かに分かれて設置されており参詣者の負担軽減、危険防止になっておりました。
今は(平成22年、2010)は 「鎮座1400年」 と石柱あり
2015年は鎮座1405年に相当でしょうか、そうすると創設は西暦610年。
推古天皇(女帝)の18年目に相当するようで、この神社や付近の村々町々の姿が想像されます。
さて、
この神社では、素晴らしい隋身さんに出合いました。
神社の拝殿にあって、神様を左右から警固する役割の警護官?お寺の仁王さんに相当。
向かって右側: 左大臣(又は左大神)
こうして拝見すると、なにかの彫刻かもしれませんが、製作方法は遠くて分かりません。
向かって左側 右大臣(又は右大神)
1. この場合の左右は神様から見ての方向が決まりのようです。
2. 仏閣の仁王さん(金剛力士)に相当。但し仁王は阿形と吽形がある。
3. 隋身門として仁王門に相当する警固の門が鳥居とは別に建てられている神社が多い。
4. ここは拝殿内にて神様の警護に当たる例の一つのようです。
5. 左大臣は黒い衣服で高齢者白いヒゲが通例、右大臣は赤い衣服、若い警護官。
どの神社でも狛犬については注目されますが、隋身さんについてはあまり取り上げられない
ようです。素晴らしい保存状態ですので参詣の際、ご注目ください。
尚、余談に属することでしょうが、段飾りの雛飾りにもこの隋身さんは現れます。
段飾りの隋身さんに一例
頭髪、眉毛、口ひげ、凄い白さ 左大臣のイメ-ジが強調されております。
段飾りの雛段におおむねこんな左大臣と若々しい右大臣が見られます。
◆ ◎ ☆
売布神社の狛犬について
向かって右側: 阿形狛犬 太郎の愛称があるらしい。
現代の、角ばり力強さが目立つ狛犬と異なり、丸くてどこか愛らしい風情があります。
向かって左側: 吽形狛犬 次郎の愛称があるらしい。
この真正面からの写真もさることながらその横顔にきかんきが現れている感じ
このお顔を見ていると思わずくすくす笑いたくなるやんちゃぶりが横溢している感じだった。
その尾紋の形
尾紋と言う専門用語もあるらしい。一作一作毎、或いは時代によりその尾紋も変化が在りそうだ。
◆
この物ずばりの資料はありませんが、彫刻された石工、場所、時代によって実にさまざまです。
三田市の狛犬資料では尾紋で狛犬の制作年代判断も見られます。
※ この狛犬の設置年代の推定
台座の刻印
私の独断と偏見による読み
文政十戊子年 (1行目) (西暦1828年) 徳川家斉公の時代
9月吉日
1. 文政元年~12年(1818~1829)、安政元年~6年(1854~1859)
歴史年表における資料から仮に台座の年が十年であり、十干十二支が戊子で
あるとすると。(戊子は「つちのえね」と読むらしい。)
2. 文政年間が考えられました。
尚、尾紋の形からもこの年代に似たような尾紋の狛犬の例がインタ-ネット情報でも
見られました。
私の推定もこの台座の文字と十干十二支の特定に誤りがあるかもしれませんので、
あくまでも独断と偏見に基づく推定とご理解願います。
※ 奈良文化女子短期大学磯部ゆう著 「丹波佐吉狛犬の再整理」と言う資料にも
(奈良県斑鳩町阿波神社にある狛犬の調査資料)
この中にも尾紋の数々が見られました。
私自身、普段の生活の中で狛犬の観察、鑑賞は多いのですが、台座への刻印はたいがい
古くて読めないので上記の如き独断と偏見の公開はほぼ皆無ですが、今回は文字の中に
十干十二支のつちのえね(戊子)と読める物が在りましたので、ネット検索を参考にして近づいて
見ました。
静寂の中に凛として納まるこの神社の関係物について独断と偏見の開陳は幾分気おくれしますが
敢えて推論を述べました。
お気づきの方で、誤りがあればご指摘願いたいと心からお願いします。
◆ ◎ ☆
余談ながら:あえて一言
画聖富岡鉄斎とその作品所蔵でも名高い清荒神清澄寺の長い参道とその賑わい
西国24番札所の中山寺の豪壮と述べても過言でない数々の結構と沢山の参詣人
その間にあって、あくまでも清楚に、閑寂を保っている売布神社
これらの創建はかなり似ていると思われますが、不思議さを感じました。
きっとこの違いについて研究され、公表されているかもしれません。
拝見したいものです。