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三田のいのしし 見て歩き日記

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2015年10月28日
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カテゴリ:観光・旅行

故郷四万十町のPRに汗をかきました。

1. 海洋堂ホビ-館について : 四万十町打井川

      道の駅の広告看板
      海洋堂ホビ-館の案内

      海洋堂とは何ぞや?
     
      1)昭和39年。守口市に開業したホビ-ショップが始まり。

      2)商品の販売から、オリジナル商品の企画製造販売に転じて、現在2000種類以上の

           ホビ-商品を有する。  

      3)どんな商品か?

      海洋堂さんの商品のペ-ジからお借りした写真
      海洋堂さんの商品

      ホビ-とは何ぞや?

      キャラクタ-・ホビ-と呼ばれるような商品の一群らしい。

  この海洋堂さんがこの業界にあって全国的にどのような位置づけなのかもわかりませんが

      海洋堂さん経営者の出身地四万十町に建てたホビ-館に大勢のファンがつめかける。

      この辺からも海洋堂とそのホビ-の人気がうかがわれます。

      海洋堂ホビ-館四万十
      海洋堂ホビ-館四万十
      四万十川の支流の「打井川」にあった旧打井川学校の廃校舎を利用して施設を運営

      その中のカッパ館
      カッパ館
      高速道路で高知の方向からきて終点窪川で降りて一般道路を進み、宇和島の方向

      四万十川の下流に向かう。その左側打井川にあるそうだ。

      また、JR窪川駅から予土線大正町駅で下車。専用客車の運行もあるらしい。

      ※ 私の故郷、旧東又村は窪川の東側で興津、志和など海岸ばた区域との間にある。

            打井川や旧大正町、昭和町、十川村などについてはあまり語れないのが残念。

            清流在り、アユが居て山も深い。
 

2. 四万十川と沈下橋

      1)四万十川の上流について
           四万十川
           遠くに見える山の稜線は天狗高原(1400から1500mか)

           いつも清流が流れている様子が見られる。

           一斗俵に沈下橋
           沈下橋
           欄干が無い橋。大水が出て氾濫しても橋は障害とはならない仕組み。

           この高さから水中へ飛び込むのが子供の夏の主要な遊び。

           地元出身の方々はこの写真をご覧になったら、胸に迫るものがあるだろう。

           2013年の写真ですが、今もこの雰囲気は保たれているはずです。

           越行(エッキョウ)堰から見た沈下橋
           越行堰から見た沈下橋
          四万十川にはこのような堰は少ないが、この右端には魚が遡上できる水路が

          設けられているはずです。また水が多ければ魚(鮎)は堰も越せるだろう。

  2. 四万十川の下流

      四万十町十川の鯉のぼり
        鯉のぼり・十川

        あまり根拠はないが、この辺りにも点々と沈下橋があるはずだ。    

       その2
        sono2
        今ではこんな風景は全国で見られるようになったが。

       4月から5月頃、 四万十町窪川から四万十川沿いに下り、十川で見られる。

◎ ◆

小室の浜と竹垣 : 黒潮町などのPR

窪川を出て四万十市に向かう道路の片坂を下ると黒潮町につく。今、次の東南海大地震

では40mとかの超巨大な津波が来ると予想されることでも有名になった。

カツオなどの漁獲、クジラ観光などもPRされている。

四万十町内では大鶴津、小鶴津や志和の海、興津の海が魅力的だ。

その中でも、興津の「小室の浜」が有名。

         日本の砂浜88選の一つだそうだ。
         小室の浜・ジャランネット
        「ジャランネット」のお写真
 
         かつて私が遊び、家族にも見てもらった浜。コンクリ-トの防波堤が出来ている

         らしい様子が見てとれる。でも砂浜は相変わらす魅力的なようです。
  
         この興津には迷路仕立ての道路と竹垣があり、その成り立ちが不思議だったが
     
         今でも有名らしい。
        
        「キャンピングカ-で放浪の旅 」

         
http://akkamui212.blog86.fc2.com/blog-entry-115.html

           (特にご興味のある方はご覧願います)

         興津の竹垣集落を歩く どろめ(イワシの稚魚) ~四万十町興津~ 2011/1/17

         その中に竹垣と集落の写真が沢山収められております。

           その1枚
            竹垣

          私が子供の頃と雰囲気はだいぶ違いますが、今、その存在はだいぶ知られて

          いるようです。

私に言わせてもらえば: 

   砂浜だけの品質で言えば日本一だと本気で思ってきたぜよ!
 

しょうまっことほんきでそうおもうちゅうがやき(あるいは続けて)ねや」  

   ・・・・・

昔だったら、或いは坂本龍馬さんが興津へ来たらこんな感想を伸べたかもしれませんよ。

司馬遼太郎さんの小説「坂本龍馬」には同じ郡内で隣町?の梼原からの脱藩が有名ですが

中村(慰安の四万十市)へ郷士の一人として派遣された逸話が紹介されている。

この興津の竹垣、小室の浜にも来たかもしれない。

多くの郷士が同様に藩内の各地へ派遣されて苦労した逸話があるから、龍馬の中村行きが

司馬遼太郎さんの創作にしても似たような話は残されているかもしれません。

◎ ◆ 〇

余談ながら:

昔、山内一豊公が藩主の頃、この窪川はそのご家老の一人? 山内伊賀亮氏の領地で

あったらしい。

江戸時代からこの地域は学問が盛んであったしまた幕末から明治時代に英雄の一人だった

谷干城(たてき)(明治10年西南の役-熊本鎮守台将軍)の故郷でもあったように

思います。






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最終更新日  2015年10月30日 06時45分31秒
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