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テーマ:暮らしを楽しむ(388247)
カテゴリ:季節の話題
80歳のこの1月中旬に高校の同窓会いわば関西支部の集まりを決めてやっと纏まった。 硬軟様々な声のある中、年末から準備を初めて8日(金)に準備がほぼ終わった。 良かった。「二人でも同窓会」の覚悟なのに複数の参加者。 前回は2011・11.12 75歳の頃だったが、纏まった同期会はこれで終わりになっても やむを得ないと皆で思い込んで散会したものの、その後年々「また会いたいなあ」の思いが 盛り上がり、ダムの堤を越す水の如くに膨れ上がってしまったという事だろう。 ◎ ◆ 〇 さて、遅まきながら初詣を3日(日)の午後に行った。 久しぶりに夫婦二人だけのお正月なので、社会人と大学の駅伝競走を最後まで見てしまった もで、3日(日)の午後になってしまった。神様ごめんなさい 三輪神社 : 階段下から見て ここは我が家から2kmぐらい離れた国道176号線沿いの神社。最も歴史の古い。
厳密にはこの地方には大歳神社という神様が古来鎮座しておられて、ほぼこの辺りの どの集落もそうだったらしい。 何故出雲の神様かみたいな謎とその解明が話題になるようにこの地域では、大歳神社が この地域の支配者と結びついていた可能性があったらしいが、大和政権の確立とその勢力 が広がると同時にこの地域でもこの三輪神社のように大和の神様が此処に鎮座されて、 住民は「年貢」を大和の神様へ届ける歴史が始まったと思われます。 ◎ ◆ ここには4体(2組)の狛犬が神域を護っている。もともとは絵だったり、木彫りの狛犬が 1. 堂々とした体躯の狛犬 : 巻き毛型―標準型(上杉千郷氏著書より) 上杉千郷氏によると: この神社では新しい狛犬であり、かつ大きな姿から威勢を感じますし、歴史的に だいぶ新しいように見受けました。 2. 同じタイプながら少し歴史の古いが、小ぶりで丸い姿がこれぞ我々の世代などが 子供の頃からなじんだ狛犬と親しめる形。 これも巻き毛型か? 吽形狛犬 こちらの方が豊かな巻き毛が見える。 境内にあって拝殿へ上る階段の脇に置かれている。 確か大阪の方のご寄進だと思いますが、昔、昔、子供たちが誰も見てない境内や参道 で遊ぶ際、恐れ多いことながらこんな狛犬の石の設置台へ登り、あるいは狛犬さんに 跨ったかもしれない・・・そんな時代の狛犬さんだと思う。 今、境内にあって私も参拝しながらこの境内の様子をみても、だれも狛犬には目を向けて おりません。 まるで境内にある歴史の古い青銅の板で囲われた鳥居や大きな杉の巨木などと同様に 当然あるものとして受け止めていることを感じます。 青銅の板で保護?された鳥居だって、きっと歴史があるのでしょうが、国道沿いにある 平成7年夏に再建され鳥居同様、どなたも気にされておりません。 国道沿いの明神鳥居 この鳥居の元になっている鳥居は西暦1701年(元禄14年) 辛巳(かのとみ)の年に 建立されたものだそうです。2001年はその300年後干支が5回転目 元禄14年と言えばご存じ忠臣蔵で有名なあの浅野内匠頭公が吉良上野に切りかかり 悲劇が起きた年で、その3月のこと。 今年は「丙申 ひのえさる」の年ですがこの大事件の起きた年に建立された鳥居の事 はもっと話題になっても良いのではないか。 私の勝手な所感です。再建された明神鳥居の足元には元禄14年建立の鳥居の再建である 事が彫りこまれております。 この神社は江戸時代も貴重な存在だと思われますし、この神社の一画にある「大井の元」 この山から湧き出る水が名水として九鬼藩の藩士家族や街の住人が1km余りを歩いて此処ま その名残りが10月の例祭に繰り出すお神輿と布団太鼓などにも表れております。 布団太鼓 ◎ ◆ この日、家から神社までは歩いて行き、帰りは武庫川沿いに歩いて大原の大歳神社まで 市内で数の多い大歳神社の一つで歴史が相当古いことは棟などの納められているこの神社の 建設の経緯を記録した資料でも伺われるところ。 ◎ ◆ 〇 三輪と大原の間は武庫川のウォ-キングでつないだが、その観察の一コマ やがて渡り鳥も交えて武庫川もにぎやかになりますが、この日郷の音ホ-ルの建物が ある側の土手下にはアオサギが一羽、この鳥だけでもないでしょうが特有のポ-ズである 一本足で立っている姿が目立ちました。 次の日はこの対岸にやはり1羽、この辺を縄張りにしているかもしれない。 飛べばこんな姿で、しばらく低い姿勢で飛びさりますが、結構優雅にみえますよ 川があり、田んぼやため池が多にせいか、このアオサギもかなり多い印象です。 ◎ ◆ 〇
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最終更新日
2016年01月12日 06時24分09秒
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