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三田のいのしし 見て歩き日記

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2016年11月03日
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カテゴリ:観光・旅行

10月21,22,23日と東京や古河市(茨城県)を旅行しました。

1. その中で、21日は浅草寺と神田明神への参詣と御朱印の記帳が主な行動でした。

      浅草寺の御朱印

     

      境内の影向堂(ようごうどう)に祀られている大黒天の御朱印

      

2.  本当の久しぶりの東京です。お上りさんもいいとこ。

       あまりにも多い人ごみに(@_@)、機会あるたびにこんな写真ヲ撮ったことでした。

       上野駅の改札口

      

       14:39と時計の文字が写真の左隅にみえる。

       あっちこっちうろうろ、JR中央線の「御茶ノ水駅」を降りて、進行方向右側にでる。

       ・・・ ・・・

       ここまではネット検索で調べておいたので、間違わずに来たが、出てから道路で工事

       している方に聞いて間違った。

       突き当り信号を左に行って…と聞いたつもりだが右だった。しまった!!

      (本当は突き当りを右に行き、ちょっと歩いて左だった、聴力が衰えているので、

         せっかくの善意を無にしてしまった、ごめんなさい)

       ともかく後戻りして辿り着いた神田明神(神田神社)

       鳥居

      

      確かめていないが、隋身門

       

      知ったかぶりで、注釈を加えれば:

      昔、お寺の仁王門と仁王さんがあまりにも立派なことから、生まれたのが神様を守る

      隋身(ずいじん)とその隋身門。

      今では多くの神社は隋身門の維持にご苦労されているが、ここは立派な姿でした。

      向かって左は右大臣又は右大神 向かって右は左大臣または左大神

      右大臣  (神様から見て左右を示すので、入門で言えば逆になる)

     

  右大臣は若い武将の姿で作られているようです。

      左大臣 (雛飾りでは、マッ白いヒゲを付けた老武将の姿)

     

      左大臣は上位の武官、またご高齢の方として白髪、口ひげの例が多いはずです。

      隋身門をくぐると境内、全くはじめての参詣でここもキョロキョロ。

      神田明神・本殿

     

       すごい狛犬 向かって左・吽形(ウンギョウ) 口を食いしばっている。

        

       向かって右側、阿形狛犬 (神様から見ると左側)

       

       獅子が吠える、「獅子吼」と言う表現がぴったりの狛犬さん。

  吠えている様

     

      昭和33年頃、東京に居を移して以来、関西と関東で住まいを入れ替えたが、不思議な事に

      この神田明神さんやすぐ隣にある聖堂には来る機会が無かった。

      「江戸総鎮守」と名付けられているので、江戸時代以降神田明神さんは関東の方々にとって

      親しみ深い神様だったと思います。

      その御朱印

     

神田明神とは: 神田明神のHPから抜粋引用

   江戸(東京)に鎮座して1300年。

   江戸時代には江戸総鎮守であった。

そして今もなお東京-神田、日本橋、秋葉原、大手町、丸の内など108の町々の総氏神様。

   神田-元祖下町、江戸っ子たちの血を受け継ぐ町々。
   日本橋-老舗が集まる江戸の衣食住の文化を伝える町々。
   秋葉原-世界が注目する最先端のITの宝庫またサブカルチャ-の街々。
 大手、丸の内-日本を代表する大企業のひしめくビジネスマンの街々。

   旧神田市場(太田市場)、築地魚河岸市場という江戸東京人の食を支え続ける市場。
伝統と創造を併せもつ、これらの町々を常に見守り続ける明神様。

そんな明神様を慕い敬う参拝者で境内は毎日賑わいを見せております。


神田明神(神田神社)の参詣、御朱印帖の記帳が終わり、かねて一度は訪ねてみたかった

湯島の聖堂に向かった。

      1回訪ねてこれが湯島の聖堂だ・・・と説明できそうにもなかったので、一通りの

      写真撮影は試みたがッここではこの1枚の掲示にさせてもらった。

     

     その屋根の印象的な飾り

      動物の置物

     

     鶏の置物?

    

      
ここ湯島の聖堂は立派な築地塀に鴨まれた構内に諸施設があるらしいが、時間もないので

ごく一部を拝観、すべてを語る資格のない観光だった。 


東京のマンホ-ルとその蓋

その1

文字が逆さまなので改めて撮った1枚

あの東京の交通事情、のんびり車道や歩道の横で撮影出来る瞬間もないでこんな写真。

昔59年から63年まで赤坂元町(豊川稲荷の関東別院の手前)の事務所にいた折に赤坂御所の

廻りを巡回して散策したこともあり、赤坂離宮の前でこのマンホール蓋でも出合い、何度か

撮影したことだった。

今世の中は彩色マンホ-ル蓋の時代で素晴らしいデザインのマンホ-ルフタに出合います。

東京のこの歴史るマンホ-ルフタをすべて取り換える暴挙?には賛成できませんが、何かの

行事、記念にその辺を加味したマンホ-ル蓋の出現があってもよいのではないか。

個人的にこんな感想を持ったマンホ-ルフタでした。

◎ ▲ ×

余談ながら: 神田明神が1300年前に起源があるとの資料に接しての感想です。

西暦700年代と言えば文武天皇、元明天皇、元正天皇のどの時代らしいが、相前後して渡来して

来た朝鮮の民族に奈良・京都のみならず関東への居住を許可推奨した可能性があります。

我々の想像以上に多くの地域と、移民の数や回数が多くて独自の神様や言葉、生活習慣もあった

可能性も考えられます。鉱山の開発などでも歓迎されたと想像しております。

それぞれの氏神様がその当時からこの地方にいくつか存在したとしても決して荒唐無稽とはいえ

ないと思われます。






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最終更新日  2016年11月03日 07時27分57秒
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