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三田のいのしし 見て歩き日記

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2016年11月27日
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カテゴリ:季節の話題

今回の主たるテ-マ  紅葉


この秋、これからご紹介させていただく割烹”がんこ”の門前にある紅葉やドウダンツツジの

紅葉と城山運動公園の紅葉、この2か所で紅葉を観賞。 久しぶりです。

さて、まずは割烹”がんこ” 前庭の紅葉:

その前にこの割烹”がんこ”の場所ですが、国道176号線沿いで、少し山の端よりです。

私たちの家庭菜園から直線距離で言えば約400mか、近い。

大歳神社なども在って見通せなかったが、今回は”がんこ”の前の公道を通過したので紅葉に

気がついた。

      大歳神社 : 市内に複数の同名の神社が在る。

  

     永禄3年≪1510年)再建の記録があるらしい。

     この神社の鳥居にご注目ください。

     すべて木材で出来ていて、損なわれてもまた木材で補修や交換をされる仕来りが続いている

     らしい。この地区は民家も神社も歴史に満ちているようです。 

ともかく紅葉の話に戻ります。


紅葉はドウダンツツジとモミジ

がんこの門前、右側

がんこの入り口に向かって左側





割烹”がんこ”入口と紅葉

屋根付き門の右側には、大原邸と表札が掛かっている。

個人的に、或いは団体で食事をしたことが何度かあるが、このお店が借りているのかどうか

までは聞いたこともなかったが、どうやらお借りして運営していると感じた。

紅葉その4

紅葉その5



ドウダンツツジとモミジ

肉眼で観た感じとかなり差異があり、撮り方の腕の悪さが目立つがだいたいこんな感じです。

◎ ▲

先日も紹介させてもらったが、この辺の里山も負けてはいない


松や檜、杉などが生えておらず、広葉樹が多いとこんな風景に恵まれます。

がんこを通り過ぎて山裾を見ると

「」

さて、

紅葉を離れて、紅葉の観賞をさせてもらった割烹”がんこ”の掲示板を見てみよう

がんこ三田の里 -大原邸- 由来

大原上野介宗隆公が旧大原村と川除村を受領して文永年間に赴任したと書かれている。

ここに割烹”がんこ”のあるお屋敷は元々大原家のお屋敷であった由緒というか、鎌倉時代に

和歌山県からこの里に来たことが書かれている。

大原邸の外観

大まかな表現ですが、西側から東側を見ております。

がんこの看板


1. 文永年間とは:

      西暦1264年 ~ 1274年らしい。
      蒙古の襲来前から襲来までの期間であり、国の中にあっては平安貴族社会の領土が

      武家に置き換わる騒がしい不安な社会環境でもあったらしい。

2. 鎌倉幕府の時代です。

      12世紀末(1192年頃)~14世紀前半(1333年頃)

      この辺り一帯は大昔は有間郡であったとされていた。後に今の有馬郡に変更された。

      たぶんその頃から、この辺り一帯は様々な有力者の領地に分割されていたらしい。
      それが武家の政治社会に変貌を遂げる中で、次々に守護と地頭などが各地に赴任。

3. 大原家の祖先もこの、旧大原地区を受領して赴任した来たのであろう。

      おおよそ今から700年余りの昔だと思われます。

4. たぶん、兵庫県下はその頃は大歳神社が圧倒的に多く存在したらしいので、この地区に

      ある大歳神社もその頃(又はそのはるか以前)から存在したのであろう。

この大原邸もさることながら、三田市内には三田固有の”妻入り”の民家が今も沢山存在する

のが貴重な景観だと思われます。

蛇足ながら。

     






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最終更新日  2016年11月27日 06時43分04秒
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