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カテゴリ:観光・旅行
初めに ここ数年、御朱印とは何ぞや・・・と言う事を考える機会もないまま来ました。 ふと考える気持ちが湧いてきました。神社・仏閣においては筆写したお経などを納経した際、 受け取りが発行された、それが御朱印の端緒であるらしい。 お時間の在る方はそれぞれで御朱印についてお考え下さい。 の御朱印、稲荷神社の御朱印を次々にご紹介の予定です。
奉拝の年月日が記入されていない所もありますが、2017年10月31日(火)です。 中央に仏様を表す種子が刻印されているようです。 仏像と同じ役目と思われます。 不調で行動がままならないので私が代わりにお願いして回っておりますが、ついつい質問の 一言「この文言の読み方をご教示願います」の一言が抜けている恥ずかしさ。
当日のお寺んの多忙さを考えるとゆっくり質問できる時間も許されていないでしょうが、こ の石山寺のように7つも御朱印記帳場所があるとなれば、簡単な説明書きをご準備願いどの 御朱印を選択するかは来訪者に任せるのが穏当かもしれませんね。(失礼) 1. ご参考ブログ名 「まったりと和風」 滋賀県石山寺の御朱印の種類や授与場所は? 大伽藍以外も」 瀬田川三山の御朱印 大伽藍 二) 別の御朱印 西国三十三カ所石山寺御詠歌の御朱印 大黒天の御朱印 インタ-ネットで見受ける御朱印に関する情報から推察できることですが、一般的な観光 あるいは礼拝に劣らず御朱印記帳を願う参拝も数が多いと見受けました。 その方々の為にも何処でご記帳ねがえるか、御朱印の種類、数などを示す案内、あるいは 案内書などを分かりやすい場所に配置頂けるとありがたい。(私の感想) このお寺だときっとそのご配慮がなされているのに気が付かなかったのでしょうね。(私)
2. 石山寺に関する一般的な情報 1)平安時代、貴族の間で石山寺詣でが流行したこと 2)紫式部もこの寺で「源氏物語」の着想 3)枕草子、蜻蛉日記、更級日記・・・などに登場。平安王朝文学の舞台になったこと。 仁王様 阿形 ませんが、それでも素晴らしい彫刻のように思いました。 吽形 を受け多と伝えられている。神社では隋身門が姿を現し仁王門と同じように左右に隋身さん が納められております。 数多い宝篋印塔 くれたのが、平清盛の継母池禅尼(西暦1104年?~1164年頃死亡)であり、伊豆の地に 配流、その後鎌倉幕府が生まれた経緯があり、禅尼の言葉にとらわれて誤解していました。 この供養塔は亀谷乳母をたたえたものらしい。 この設置場所の一画に詳しい情報の掲示もあるらしいが見落としました。 多宝塔 引き続き御朱印のお話です 四国八十八カ所第37番札所 岩本寺とその御朱印です 生まれ在所で菩提寺でもあった岩本寺、2017.11.10日と13日訪問したところ、沢山の お遍路さんの御参詣に出合いました。 御朱印とお遍路さん ご紹介出来る事を喜んでおります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017年11月23日 06時25分37秒
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