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カテゴリ:観光・旅行
11月10日(金)四国八十八カ所第三十七番岩本寺の御朱印を頂いてきました。帰宅後妻から この御朱印は「何と書いてあるの」と聞かれた。 お寺さんで教えてもらって無かったのでがっくり! その辺から御朱印の勉強が始まった。
兵庫県三田市→神戸・三宮→高知市→四万十町 午後3時前 JR土讃線窪川駅下車後、真っ先に岩本寺へ参拝して御朱印帳に記帳頂いたのが上にご紹介の 御朱印です。 1. 中央の揮ごうは「五佛宝殿」だとのこと。このお寺の一大特色らしい珍しさ! 2. 即ち、このお寺は以下の五つのご本尊が祀られているとのことでした。 不動明王 阿弥陀如来 制観音 薬師如来 地蔵菩薩 3 御朱印に戻って拝察すると、揮ごうの前に朱色の刻印が三つある。 四国第三十七番と「五佛宝殿」の揮ごうの下中央に八稜鏡の朱色刻印があり、その中には 五つのご本尊の種子が刻印されているそうです。 不動明王の種子「カーン」 阿弥陀如来の種子「キリ-ク」 ご参考までに種子「キリ-ク」 計五つの種子が印刷されているらしい 地蔵菩薩の種子「カ」 されております。修験者が印を結びますが、これも種子と同じで仏様を表している 御朱印の記帳に当り、墨のにじみが汚れとならないことを兼ねて説明のチラシが挿入さ れていた。以下にその概略です。 お納経(御朱印)とは 各お寺のご本尊さまとお大師様にはお経(読経や写経)を奉納し、ご縁を結ばれた取次の 「しるし」です。 参拝者とご本尊様、お大師さまとのご縁を証するためのものです。・・・云々 神社の御朱印は一言で言えばシンプルですが、お寺さんは様々な工夫がなされており、一言で 仏寺の御朱印と決めつけるのは無理があるようです。 領主など(特に戦国時代以降、将軍や大名)が文書に朱肉で押した印、また、その印のある 公文書、朱印状。 その昔、写経を収めた証としてお寺より頂いた受付印が現在の御朱印につながるそうです。 11月10日、岩本寺に参拝した際、お堂の中ではお経をあげているお遍路さんを沢山見受け ました。こうして仏様やお大師様を縁を結ばれた方が、その証として御朱印を頂くのが、 今も昔も御朱印の本来の姿のひとつであると思われます。 せめて、参拝の後御朱印帳記帳が順序だと示唆されるお寺さんにもであいますね。 御朱印に関する様々な勉強はこれからの事として、ひとまず御朱印の事はこれで終わります。
の御気持ちの方々に出合った、そんな気持ちでした。 岩本寺: 本殿
御朱印や納経などの受付などは山門の左横にありました。 この日の宿泊箇所に行く前に第37番札所岩本寺を訪ねたのは、忙しい4日間の高知県滞在中に 必ず御朱印の記帳を受けようと決めていたからだった。 お寺さんの写真撮影などと共にゲット出来たのでよかった。 難しいもじだなあ! とは思ったが境内で写真撮影や境内や巡礼さんが宿泊する建物などの観 察に気持ちが行ってしまった。 その一つ岩本寺の景観 11月13日、兵庫県三田市の現在の自宅へ戻るにあたって今一度岩本寺拝観と四万十町内に立つ 「干城まつり」ののぼり旗の写真撮影の為に時間をとることにした。 巡礼さんの写真撮影が目的だった。 我が家の庭でお経をあげられた巡礼の方には納屋からお米を持ってきてお受け取りいただく のが当時の習慣でした。 この岩本寺は江戸時代には五社神社(別名高岡神社)の別当だったそうです。 昔、11月15日頃に五社のお祭りがあり、それはそれは賑やかで遠くから出かけましたが、おそ れ多い事ですが、五社が町民にとってなじみが深い印象があり、岩本寺が今日の姿になった背景 などどう考えればよいのか、五社、高岡神社の今はどうか? 思案中です。 高知大神宮 同じ境内にある 稲荷神社 です。土佐に入部した大名山内家の神様山内神社など市内にも様々な神社仏閣が存在するはず ですが時間の都合で高知城と帯屋町周辺の観光と御朱印の記帳に終わりました。 この一画に「ひろめ市場」があり、カツオのたたきなど美味しい物が売りで、私はカツオの たたきどんぶりを食べてきました。
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最終更新日
2017年11月28日 07時16分33秒
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