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三田のいのしし 見て歩き日記

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2017年12月31日
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テーマ:旅の写真(3472)
カテゴリ:観光・旅行

はじめに:
久しぶりに土讃線高知駅から国宝高知城、帯屋町界隈を歩きました。
11月13日(月)の事でした故郷四万十町から関西へ戻る際の一時でしたが、高知の魅力をもとめ
歩きました。

JR土讃線の高知駅を出ると海に向かって右側に3体の銅像が見える:

高知県:土佐の三偉人、左から武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎さんです


「月さん雨が・・・」

「春雨じゃぬれていこう」
のモデルとされているはずの武市半平太さん、日本人のス-パ-モデルの竜馬さん、幕末に素敵な

名前の中岡慎太郎さん、実務派らしく手堅く薩長の間を纏めて龍馬さんの成果を支えた、そんな

三偉人の銅像が冬に入り口の11月13日、晴天の一時輝いて見えました。やっぱり嬉しい!

普段歩かない道路にも気にせずに高知城に向かって歩きました。

堀に鯉が泳いでいました。


やはり水が綺麗になって来たのでしょうね。水は右から左に向かって流れているはずです。

お城に来たら必ず立ち寄る追手門の手前で昔、藤波神社の入り口だった場所に続く敷地に見られる

露天将棋







何回訪ねてみても数台、将棋盤に向かう二人、傍で熱心に眺める人、次の対局機会を待っている

らしい人々。昔から一つの文化でしたが今も静かだが熱く生きてました。

昔ここで大学の同級生と出合い、驚いた一幕もありました。

山内一豊公の像と土佐藩24万石の苦しみの中から熱気があふれた生き様。


織田・豊臣時代に頭角を現し、徳川政権への支持が評価されて静岡の「藩」から土佐24万石

大名に補任された。城内に一豊の妻の銅像が立っていて少し「何故」と考えることもあり。

ともかく:

土佐藩はその他の外様大名と同じようにすざましい試練が待っていたらしい。

江戸時代を通じて様々な施設の工事請負を命じられて頑張り切ったので生き残った。

広島の福島、會津の蒲生、熊本の加藤家などお取り潰しで織豊につながる大名家がとり潰される

にあって生き残るためには、試練を受け入れるしか道がなかっただろう。

その結果、坂本龍馬やその祖先などの長宗我部の家臣だった郷士達もは過酷な負担を強いられた

伝えられている。ついでに書けば郷士達は藩の中でも手伝いの歴史だったらしい。

わが家の一族も郷士だったので、あちこちの工事などその負担は強烈だったと伝えられている。

全てをのみ込んで立つ国寶高知城の碑が立つ追手門とお城の遠景。


どのお城も魅力たっぷりですが、このお城の入り口追手門はとりわけ魅力的です。



ご家老だった「野中兼山」の邸址というが碑が堀傍に立っている追手門

その道路際に「野中兼山先生邸址」の碑が立っている。


1615年~1663年。土佐藩山内家のご家老で、一言で言えば”辣腕を振るった偉大な指導者”

卑俗な言葉で言えばその功績も目をみはるものがあったが、恨みを買った点も多かったらしい。

長宗我部家の元家臣で、氏姓を名乗ることが禁じられた人々に氏姓を名乗るのを許す代わりに、

山野の開拓によるコメなどの収穫増、ひいては土佐藩の財政改善・増大の道を切り開いた点が

顕著な功績の一つとされているようです。

その功績と悲劇を簡潔に説明している掲示碑


一国のご家老の邸宅地がこんな狭い堀だけとは思えないので、現在追手門につながる道路なども

その邸宅であったと思われる。

高知城のアウトライン

追手門を潜ると広場になっていて小高い丘に建つ高知城に登る。

こんな石垣に囲まれていた高知城?



4,50m、砂利が敷かれた広場をよぎるとお城がある小山の根元に辿り着く。その景観



少し石段を上って最初に対面する一豊公の妻の像


織田信長公に認められる手段として、名馬を買う資金を「へそくり」から出して夫一豊公に

持たせた経緯は説明不要ですが、一豊公の銅像から一段高い位置にこの像があることを1回

は考えますね。

この銅像のある敷地も広くて、上段の登り口は見事な石垣が観光客を歓迎してくれます。

この石垣もいわゆる「野面積み」と言われる物ではないでしょうか。



登ると「桝形」がある。

様々な角度から見たお城





水落とし

先端から勢いよく落下した水が、石垣に根本を洗わないように設計されているらしい水落とし

この城を一周すると様々な「水落とし」があちこちの石垣に見られる。

詰 門

お城のある左側と右側を2階の渡り廊下でつなぎ、ご家老や諸侍の詰め所などが整えられている

場所で「詰門」と称される。生まれて初めてくぐりました。

今回初めてこんな高い位置にある石垣に沿って左回りに歩き、ついに一周を経験させてもらった

高知市内の景観



再び追手門に戻ってきた。



この追手門の右側では新婚らしいカップの撮影会が見られた。その美しい景観の撮影を

させてもらった。




追手門を出て数分で青空将棋の舞台に到達、熱戦が続く有様を撮らせてもらった。
相変わらず熱気に包まれた青空将棋の風景

こうして熱戦に夢中のご両人の直ぐ傍には観戦記者ならぬ愛好家が一も建っている。

高知城にお家の皆様、お時間があれば一度はこの現場にも遊びにおいでください。日曜日

であればこの前の道路ではこれまた全国に有名な「日曜市」がたっているはずです。

尚、この辺はクスノキが有名であり、巨木が街路樹にもなっているはずです。


今回は此処まで。

次の回には以下の項目を予定しております。

1. 別の角度から見た高知城と土佐山内家の家紋

2. お城の火災防止の飾り「懸魚」の紹介

3.   帯屋町にある神社

4. マンホ-ル

5. よさこい鳴子踊りの街 帯屋町筋

6. 高知駅前で外人さんのお遍路姿に出合いました。

      今、四国は外人さんのお遍路さんのブ-ムだそうです。この情報に出合ってからは、ずっと

      考え続けております。

〇 ◆ ◎






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最終更新日  2017年12月31日 11時07分21秒
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