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テーマ:暮らしを楽しむ(388234)
カテゴリ:観光・旅行
目 次 前編で列挙した項目です。 1. 別の角度から見た高知城 2. お城で見た土佐山内家の家紋と懸魚(防災のおまじない)について 4. 帯屋町筋で出合ったマンホ-ル 昔は御仕着せのマンホ-ルだったが・・・ 5. よさこい鳴子踊りの街 帯屋町筋 とひろめ市場 6. 高知駅前で外人さん(女性)のお遍路さんに出合いました。
正式の名前を控えていないが、通用門的な存在? この小山の頂にあるお城の入り口の一つ 時代に海中にあった小島が鏡川のもたらす土砂などで埋まり、人家が立ち並ぶ時代になる 「小高坂」と呼ばれるようになったらしい。 長宗我部家の時代には中心地は「岡とよ」だったが山内家とその家来たちは浦戸城の仮住 まいからこの小山に城を築くに至ったとされている。 の大きさの石で築き上げている。やはり工人、石工は琵琶湖界隈からおばれたのではないで しょうか。 水抜き-例-2
前例に比べて、樋に当たる部分が短いが、多分長い年月で掛けたのではないか。 前例の説明文によると落下した水か石垣の根元を洗わないように作られてるとあるが、この 姿では水は勢いよく石垣にあたるだろう。 (もちろん現在では地面に落ちた水を処理する別の工夫がされているはず) 山内家の家紋 土佐柏
ある屋根の妻面に飾られている火事除けの「懸魚」に張り付けられている家紋 土佐藩山内家はこのカシワを用いたらしい。 中国の奥地で今から2~3000年前 、干し魚を屋根に飾って火事防ぎの御まじないにした。 それが中国で成熟して出来た上がった懸魚が日本にも入ってきて定着した物。 但し、 火事は怖いし、できるだけ火事になりたくないと頃からこのようなおまじないが飾られた が、庶民がこのような懸魚を妻面に取り付けることは徳川幕府などから厳重に禁止された 従ってなじみが薄いが、観光においでの際はお城の屋根の下の懸魚などもお楽しみください 大手門を出て直角に曲がり堀沿いに帯屋町の方向に歩くと、少しで帯屋町の通りにでる。 江戸時代からその幕末の頃は有力な家臣や主だった家臣の住まいが多くて、いまの雰囲気 とは大いに違っていたと思われる町筋。 今は昭和29年から33年までの学生時代にも気が付かなかった高知大神宮などに参拝の後
高知大神宮の境内にある末社的存在と情報もあったように思われますが、綺麗で目立つ 存在のように感じました。 土佐土着の「長宗我部家」の時代まで岡豊が栄えたので、その頃は目立つような集落がない したがってこの 付近には神社も仏閣もあまりなかったのではないか? 宮、よさこい稲荷神社など近世の神様かもしれません。 高知城とヤマモモ? 高知はマンホ-ルの蓋は元祖的な、シンプルなデザインが長く続いていたと思い込んでいた がこんなデザインのマンホ-ルも出現しておりました。 市当局や地元の好事家が考える以上にマンホ-ル蓋のデザインが町の発展、人々の関心を 呼んでいる物と言えそうです。 もっともっと工夫されることをお願いします。 5. よさこい鳴子踊りの町筋 帯屋町筋
この写真二つは2007.06.28 大橋通りで練習中の大学生達。 8月には人で埋まる。 昔、帰省の際出合った本物のお祭り風景です。今はもっと変わって生き生きとして 居る事だろう。 市場の内部 帯屋町のすぐ近くにありますよ。 高知に遊び、お昼にこの辺りに居たら一度はお楽しみください。 私 カツヲのタタキどんぶり ここは餃子の人気らしい。お隣に座っていた女性二人、にこにこと。 ニコニコして年寄りの私を座らせてくれたので、言うのではないが、ここで餃子とは ウ~ム・・・・と思ったが、美味しそうだった。 お借りした写真ですみません。また提供された方にお礼申し上げます。
正確な情報ではありませんが、四国の町々はお遍路さんが沢山あるき、山に登り、谷を 渡り、心の癒しを求めて巡回されていると改めて感じました。 大学の同級生のご夫妻もある時期四国をっ巡礼し、高野山に登ったことを知らせてくれ ましたが、小豆島生まれで札幌在住です。 私も室戸岬から足摺岬の金剛福寺?の間だけでもあるきたい気が湧きつつある今日です。 次はいよいよ有馬富士公園に植えられていて、数の多い「サネカズラ」別名「美男蔓」の 若葉から現在も見られる赤い実、ビナンカズラ(美男蔓)までの時系列での進行を 纏めたいと思っております。 美男蔓の赤い実 雌雄異株でありながら、いまではしばしば雌雄が同じ株にありながら別の花”雌雄異花” にも何株か出合いました。 楽しい1年でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018年01月06日 11時17分19秒
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