アン・インストール
アイドルの歌とお遊戯は別格で好きな方だが。実は歌も曲も『音』でしかなくいわゆる『歌(歌詞)』はどぅでもぃぃ。声を聴くツールとして『歌』がありお遊技のツールとして『曲』があるそれだけのことだ。はげ山の小太り初老の『男』が多感な『少女』の心情を語っている『ネかま』か『妄想変態』でしかなぃ。想像してみなょヘドがでるさ。まぁ、実際の少女(女)が語っても結局はにかよってくる。所詮は『さかった』歌という歌詞でしかなぃ。そもそも『歌』とは発情期のサインでアニマルとしてのソレかもしれない。少数民族の中には婚期をむかえた男女が小鳥のさえずり野獣の声なでのごとく求愛を歌でやり取りしてる。応援歌、叙情歌、賛美する歌などは取って付けたまがい物情報歌(言い伝え)は文字を持たない字が書けない文化レベルの必要性だったんじゃないかな。長々となにがいいたいかと言えば。歌(歌詞)の倫理ってそれだけかな?ってこと。道理といってもぃぃ。テーマと置き換えよう愛 勇気 レッツビギン!ドゥイット ユアセルフ!ここから脱出できない愛と勇気と力とが静かに眠る海の底とびだせとびたてとびたーせぃ!三つのメカ(想い)がひとつになぁってー物語る時にはある意味テーマを要求されたり押し付けられたりする。。だろうなぁ自覚してないか理解できていなければそれも感じなかったりするからだろうだ。 『ゆえにミ・フェラリオの 語る次の物語を 伝えよう』by ダンバイン『この星の無数の 塵の一つだと今の僕には 理解できない』byぼくらのぼくらのを観終わって想った感想。。かなぁ空飛ぶ円盤と宇宙人の論争は物理と空想(ファンタジー)であって物理と仮説の戦いではないって想う。ただ伝えることしかできない慰みと僕らはまだ何も知らないと作者に伝える無慈悲なアンサーソング。それしか感想を見いだせられなかった原作を追い越してオリジナルに走ってしまった作品らしいがこの物語をどこまでやれるのかは疑わしいというか平行(パラレル)宇宙に人間交差点(オムニバス)どうやってもテーマ(道理、倫理)でいきづまる。搾取するもの搾取されるもの少中大っと移行していたり間引くという発想。すべては、人間世界地球太陽系銀河系銀河群銀河団超銀河団っと言葉遊びのようでこれ自体想像のつかない広さだけどこの器にどれだけの星が密集してどれだけの生命が世界を家族をしているのか全くわからない。この世界を想像したものだけが知っている世界(器)広さを知っている己が畑の農夫だけができる所業だ。だから何も知らなければせめて生きた証を伝えたいという気持ちは責められない無駄だと伝えるのはやめよう。平行(パラレル)宇宙という考えは、この作品では物理的に異なってる感じがする平行宇宙は分岐的な解釈で発点から分岐していく世界(宇宙)なのである程度制約をすれば戦闘相手は別世界(多元宇宙)でのぼくらでなければならない。ぼくらが参入契約をしていない世界と、今のぼくらを戦わせると物語だと何でもあり(物理とSF)で厚みのない物語に感じてしまったのだ。(物理と仮説)で表現すればもしかしたら交わってはいけない世界(分子)で最初から崩壊(存在しない)する運命宇宙なのかな。まぁ機会があったら原作を観てみようただ、無数にアニメが眠っているネットに使っていると通りすぎた作品を思い出す事もなさそうだアディオス