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テーマ:お勧めの本(7402)
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言わずと知れた「デビルマン」が、ついに映画化された。
まるでプロレスラーみたいな黒パンツをはいたアニメのヒーローしか知らなかった僕が、漫画「デビルマン」を読んだのは、前彼女が買い与えてくれたからだった。 すごいとは聞いていたのだが、作者の永井豪氏と言えば、「キューティー・ハニー」や「ハレンチ学園」などのお色気物のイメージが強かったため、すすんで手に取る気にはなれなかった。 読みすすむにつれ、壮大なストーリーとその異常さにすっかりやられてしまった。 子供の頃に読んでトラウマになったと言う人がいるくらい強烈なシーンもいくつかある。 というのも、そのテーマの底には魔女狩りと宗教的熱狂がうずまいているからだ。 このマンガを読んでいるうちに、「永井豪は過去世キリスト教の修道僧だったにちがいない!」などと冗談めかして言っていた。 そして後半ともなると、この作品の異常さはピークをむかえる。絵自体がおかしいのだ。書きなぐったかのような勢いで、美しく見せようとする意図がまったく見られない。まるでただ溢れ出てきたかのような感じさえする。 叙事詩のようなラストシーンを迎え、マンガでありながらも、神とは何か、宗教とは何か、善悪とは何かを深く考えさせられるすごい作品だった。 新しい文庫版には永井豪氏の後書きがそえられていて、「デビルマン」を書いている当時のことが書かれていた。 それによれば「デビルマン」を描いているときは一種のトランス状態で、記憶がなくなることがよくあったらしい。朝になって目が覚めると、机の上に作品が描きあがっていて、それを読んで自分ながら、そのストーリー展開に驚いたというのだ。…なるほど、そのためにある意味で絵がくずれているのかと納得した。 さらにずっと後になって、永井氏はある外人チャネラーorサイキックのセッションを受ける機会があったそうだ。そのチャネラーによれば永井氏は中世ヨーロッパで修道士をしていて異端審問にかかわる矛盾に苦しんでいたと言うのだ。そして永井氏は誘導されながらその人生に入っていくと、自分がロープを持って一本の木に歩いていくのが見えたのだそうだ。すると、そんなことは何も言わないのに、そのチャネラーは「そう、それがあなたが首を吊った木ですよ。」と言ったという。 この過去世の話しが本当かどうかはわからないと永井氏は書いておられたが、僕にはその話が本当のように思えてならない。 神の名のもとに魔女と思える女性に残酷のかぎりをつくすその様子は、神の代理人を自称する聖職者たちこそが悪魔のように見え、魔女として焼かれていった人たちにこそ神が宿っていたように思えるのだ。そうした矛盾に引き裂かれ、首を吊って死んだ修道僧の真摯な叫びが、この作品中にはこだましているように思えるのだ。 映画はとても見る気にはならないが、もう一度原作を読んでもいいかなと思っている。 もしまだ原作を読んだことがなければ、あなたもデビルマン体験してみてはどうだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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