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テーマ:こころの旅(60)
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日本人は本当に我慢強いと思うときがある。
それはいい意味でも悪い意味でもだ。 地震や台風に襲われても、ひどく取り乱すこともない。 白人社会ならば「Oh My God!」を連呼し、泣き崩れ、励まし合い、ハグしまくっているに違いないと思うのだ。 それにひきかえ日本人は黙々と目の前の作業をこなしていく。 それも少しも文句を言わずにだ。 この抑制のきいたところが、日本人の民度の高さと評価する向きもあるかもしれないが、果たしてそうだろうか? 確かに文句ばかり言っていてもはじまらないし、不必要に騒ぎ立てるのもどうかとは思う。 しかし、まったく文句を言わないというのもどうかしている。 当然の批判だとしても、ぐっとしまい込んでおくのが日本人。 それが妥当な批判であっても、それは愚痴や弱音と受け取られてしまう。 そうした不満や感情を吐露するのは、いまだに弱さだと思われている節がある。 多国籍な参加者でワークショップをすると、国民性が表れておもしろい。 特に身体を使ったエクササイズをするとよくわかる。 西洋人、特にイタリア人などは少々きつくなってくると、すぐに音を上げる。 「Oh~!God!!」などと身振りを交えて、いかにもおおげさでドラマチックなのだ。 それに比べると日本人は(特に男性は)、少々きつくても表情一つ変えない。 たとえ相当きつくても、眉毛一つ動かさない。脂汗をにじませながら、黙々と言われたことを言われた通りに、完璧にこなそうとする。 そしてエクササイズが終わると、内心くたくたになりながらも、うっすらと自己満足の笑みを浮かべたりするのだ。 日本では言わなくてもわかってくれることが多いし、先回りまでして他人の要望に応えようとする。それはもう西洋人からするとサイキックのような能力だ。 西洋では誰も率先して聴いてくれないから、一生懸命主張しなければ何ごとも動いていかない。 西洋では誰もが自分自分で主張するのに忙しい。 日本人はまわりの雰囲気に同化しようと、すべからく笑みを浮かべながら、様子をうかがっている。 グループ中でも自分が感じていることをあまり言わない。 何か特別なことがない限りは、率先してシェアしようとはしない。 多少不快な感じがあっても、自分でなんとかしようとする。 だから西洋人グループリーダーは何も問題がないものだと考える。 ところが突然、自分ではどうしようもなくなって感情を爆発させる。 すると、外人さんたちはきょとんとしてしまうのだ。 さっきまでは完全に問題なく、グループでも一番冷静に見えた日本人が突然激しく感情を噴出させるのだから、何が起こったのか理解できないようだ。 日本人はそれを本音とたてまえだと言うかもしれないが、こうしたことを繰り返していると西洋人からは誠実ではないと見なされるようだ。 こうしたパターンから、日本人の自殺率の高さも説明できるのではないか。 日本は自殺率世界第三位なのだそうだ。(一位二位は旧ソ連) 先進諸国ではダントツの一位。アメリカ人の2倍。イタリア人の3倍は自殺している。 苦しいときも、悲しいときも、ひとりでなんとかしようとしているのではないか。 開き直ってわんわん泣けるといいのだけれど…何も言わずに自殺してしまう場合が多いように思う。たとえ銀行にはめられて破滅したとしても、その矛先は銀行やお上には向かわず、ひっそり首を吊ったりしてしまうのだ。所詮敗者の泣き言、言い訳にすぎないということか? 僕は思う。もう少し泣き言を言いましょう。 もう少し自分の気持ちを語りましょう。 解決策が見つからなくても、ただそれだけでもいいじゃないかと。 弱さを受け容れられるのは強さだと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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