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テーマ:こころの旅(60)
カテゴリ:文化
いま話題の「ダヴィンチ・コード」を僕はまだ読んでいない。
にもかかわらず、謎解きをしてみよう。 謎解きと言っても、読んでないからテレビで見た程度のことしか知らない。だから内容ではなく経緯について考える。 もう既にテレビなんかで放映しているから言ってしまうけれど、ダヴィンチが暗号にして隠していたもの。それはイエスの子を宿したマグダラのマリアの存在だ。聖杯伝説ーキリストの血を受けた器、それはマグダラのマリアのことだ。 ではいまなぜこんな話題になっているのか? それにはフェミニズム運動が大きく関わっていると推測される。 聖書というのは、もともと女性蔑視しまくりな本なのである。 それはもうきりがないほど例が挙げられる。 特に旧約聖書ではあからさまで、「諸悪の根源、汝の名は女なり」と言われるほどです。もともと女とは男の召使いをさせるように、肋骨から創った二次的な存在にすぎませんし、「女はだまって男に仕えとりゃええんじゃ」的な文言にあふれています。 新約聖書でもキリスト教会の父と言われるパウロは、 「女性は教会で黙っていなさい。女性には話すことが許されていないのです。 律法も言っているように、女性は従いなさい。もし、何か学びたいことがあれ ば、家で自分の夫に尋ねなさい。教会で話すのは、女性にとっては恥ずべきことです。」 男が女よりも優れている理由を「アダムが先に造られ、それからエバが造られたからです。また、アダムは惑 わされませんでしたが、女は惑わされて罪に陥りました。女性は子を産むことによって救われます。これは言うまでもなく、慎み深く、信仰と愛と清さとをもって生活を続ける限りにおいてです。」 などと説明している。 こうした文言を背景に女性蔑視的で男性中心主義のキリスト教社会が構築されてきたわけだけれど、この意味では、現代でも女性差別が問題とされるイスラム教とそんなに違わないのです。母体は同じユダヤ教なわけですから… さて、こうした聖書の文言を現代のフェミニストが読んだとき、「こんなことを言う宗教なんてくそくらえ!」とはならなかった。さすがにキリスト教を否定することはできなかったようです。それは西欧文明の過去すべてを否定するに等しいわけですから。 そこで「こんなことを神様やイエス様が言うはずがない。女性蔑視を生み出したのは男中心のキリスト教会なのだ!」という前提のもとに、フェミニズムの立場からの聖書の読み直しが、盛んに行われていると聞いている。 その切り札となるのが、マグダラのマリア伝説だ。 イエスは女性を蔑視していたどころか、愛し合い子供をもうけていたというのだから、これはかなり強力なカードと言えるでしょう。 フェミニズムの立場からキリスト教社会における女性の地位向上を図ること。 それが小説「ダヴィンチ・コード」に秘められた本当の暗号なのかもしれません。 いかがでしょう? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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