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カテゴリ:文化
盆休みに出かけるのはあきらめて、早めの夏休みということで伊豆に旅行に行ってきた。
暑い夏にわざわざ暑いところへ行って、じりじりと日に焼かれると、夏気分がたっぷり味わえる。そうしていると子供のころの気分を思い出す。 伊豆には山も川も海も、そして温泉もある。 温泉に入ると本当にさっぱりする。 スピリチュアル・カウンセラーの江原さんが、お風呂に入ると汚れたエクトプラズムが流れてきれいになると言っていたけれど、本当にそう思う。 身体の周りのエネルギー体が一時的にでもきれいになる。 下手なセラピーやボディーワークを受けるよりも、よほどさっぱりするし、少なくとも温泉に入ってからボディーワークを受けたほうが、セラピスト側もその分被らずに済むのじゃないだろうか。 そんなおり、銭湯に関する番組を見ていたら面白いことを言っていた。 入浴はもともと沐浴などの宗教的な儀礼、清めの要素が強かった。 昔は、湯を沸かして入るというのはたいへんなコストがかかったので、寺院でのみ行われたそうだ。そして公共サービスの一環として人々に施したのが湯屋のはじまりらしい。 後に浄土真宗などは「風呂に入ると心が落ち着き、仏のようにものごとの本質を見極められる」と言って入浴をつよく推奨したらしい。 いったん風呂屋の暖簾をくぐれば、雑念を忘れて極楽浄土に入れると言うのだ。 そうしたことを反映して、銭湯は神社仏閣を模した建築となり、湯につかると人々は「極楽~極楽~」と唸るようになったのだという。 う~ん。これぞ湯の中の瞑想。 この身こそはブッダ、温泉こそはロータス・パラダイスというわけだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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