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テーマ:こころの旅(60)
カテゴリ:セラピー
今では超メジャーになったスピリチュアル・カウンセラーの江原さん。
僕もまた江原さんの番組が好きで欠かさずに見ている。 その卓越した霊視能力に加え、その解釈やカウンセリングの仕方に感服しきりである。 先日人気番組「オーラの泉」で上原さくらさんの回を見てとても感銘を受けた。 過去生、貧しさから遊女にならざるをえず、男性たちから見下げられたという経験から男性たちと闘ってきたということを聞かされ、涙を流す上原さん。 江原氏が語る内容は過去生についてだけれども、それはセラピーで言う癒しの言葉だ。 そのようにして涙を流すことで何かが解き放たれていた。 江原さんも美輪さんも、そのようにして泣いているのはあなたではなくその過去生の女性なのだと言う。 そして今その気持ちが理解されたことで成仏したのだと言う。 こうしたことはセラピー場面でときおり起こることだ。 セラピーでは成仏とは言わずにリリース(解放)と言う。 僕自身もそうした言葉により深いリリースを体験したことがある。 それは本当に成仏と表現してもよいくらいに、まるで身体の細胞の一つ一つからか何かが解き放たれて、浄化の涙が終わったあとには本当に身体が軽くなる。 まるで本当に乗っかっていた何かが昇天したみたいだ。 江原さんにはそうしたものが霊としてはっきり見えるのだろうけれど、何かの思いが人の上に乗っかることは案外普通に起こっていることだと思う。 わかりやすい例を挙げるなら親が子供に対して寄せる期待なども生霊と言ってもよいと思うし、熱烈な片思いだってきっと生霊になっているに違いない。 ただ死んだ人の思いであっても消えずに残っているだけではないだろうか? そしてときにはまったく見ず知らずの人の思いも拾ってしまうこともあるのだろう。 そうした思いが受け入れられ理解されたとき、その思いは涙と笑みと共に天に昇るに違いない。 あるいは無関係で聞き分けのないものはおっぱらうしかないのかもしれない。 そうした意味ではある種のセラピーはいい意味で呪術的な要素が多分にある。 原始的な共同体には精神のバランスをとるための呪術医や悪魔祓い師がいたものである。 そしてそうした満たされない思いを理解し昇天させていたのだろうと思う。 セラピーでは思いや霊とは言わず、ただのエネルギーとして扱うことが多い。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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