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前回の日記、立川武蔵氏の講演で見た謎の呼吸法の謎を探るべく、絶版となった氏自身のマンダラ瞑想体験の本をアマゾン・マーケットプレイスで購入。
読んでみて驚いた。 氏がデモンストレートした呼吸法は、ほとんど自己流であることが判明した。 氏は自分が出会った霊能者や巫女などとともに瞑想しているのだが、どうも憑依的な色彩が強い。ぴゅるぴゅる言っていたのも喉が勝手に鳴るだけで、鳴らしていたわけでもなく、何かを唱えているかに思えたものも、ただ無意識から出るがままにつぶやいていただけのことだったのだ。 仏教的なものにはなかなかアクセスできないなどと言ってたが、できないのではなくしていなかったのだ。 そりゃぁ本格的なマンダラ瞑想法や成就法にはアクセスしづらいとしても、阿字観やトラタックなんてものもあるのだから、実際に試してその味わいを知ることはできただろうに… なぜにそんなことをしているのか? そうした体験へのアプローチはひどく行き当たりばったりで、核心に飛び込むことなくまわりをうろついているだけのように感じられた。 奥さんに一線超えると離婚だと、釘を刺されているからだろうか? つまり宗教学者であるのはいいけど、宗教者になってはならないということか… 宗教体験などという主観世界を、学問などという客観世界から分析的に定量化しようとする不毛さにもどかしさを感じる。 踊る阿呆に見る阿呆~!同じ阿呆なら踊らにゃ損!損!なのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006/09/21 03:50:50 PM
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