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先日放送されたNHKスペシャル シリーズ原発危機「事故はなぜ深刻化したのか」
動画はまもなく削除されるでしょうから、見るならお早めに。 この番組は来週月曜深夜にも再放送が予定されています。 200人を超える当事者たちへの取材から当時の状況を克明に知ることができる良作だと思った。 ただし、この番組の主張は、安全神話に基づく見通しの甘さと連携の取れない組織に事故を深刻にする原因があったのではないか言っているように理解したのだが、それだけでいいのだろうか? この番組を見ていると、事前に危機を予測し、対策を立ててさえいれば事故の深刻化を避けることはできたと言ってるように聞こえる。 たしかにそういう面もあるとは思う。危機を想定しておくのは大前提として大切なことだ。 しかし想定にない事態が起こったときにどう行動するかということも考えておかなくてはならないのじゃないか? もっと緻密なマニュアルをつくっておけば、それで一安心ということになってしまわないか? 想定しきれない出来事が時々刻々と起こりつづけるのがこの世界だと僕は考える。 わかりやすくいうと、日本人は野球には強いがサッカーは苦手ということだと思う。 次に何をすべきかがはっきりしており、監督が考え、その判断に基づいてプレイしていく野球と、さまざまな要素が時々刻々に変化していく中でプレイヤーたちの判断に委ねられるサッカーとでは同じスポーツでも精神構造はまったくちがっている。 野球ならプレイ中にタイムをとって議論することもできるが、サッカーではありえない。 それと同じように、時々刻々と変化する事態に対するときに、トップダウンのようなやり方では対処しきれない。 特に今回のような事態では、原子力の専門家でもない首相がトップに立ち、各組織間の情報伝達や根回し、議論などに時間を費やしているうちに、どんどんと状況は悪化していったのだ。 これはやはり現場への権限移譲をしなくてはならないのじゃないか? こうしたことは、以前「NHKスペシャル 変革の世紀 情報革命が組織を変える ~崩れゆくピラミッド組織~」というものでもとりあげられていたことだ。 ブラック・ホーク・ダウンをきっかけに米軍は率先して現場への権限委譲という組織改革を行った。それにならってフォードなどの大企業でも直接客に接する営業マンの権限を大幅に拡げたということらしい。 日本でもそういう背景があって「踊る大捜査線」なんかで青島警部に「事件は会議室で起こってるんじゃない!現場で起こっているんだ!」と叫ばせていたわけです。 その結果、こういうことになるわけです。 米軍が避難所に救援物資搬送!! 彼らは一応の目安はあるものの、隊員が空から目で見て物資の届いてなさそうな所へ、自己判断で着陸して、物資を届けて帰るわけです。 日本ならどうでしょう? 正式なルートを通して支援要請を出して、それを中央に集めて集計し、物資が均等にいきわたるように割り振りし、それから実際に現地に届ける組織に要請なり根回しをしたりするわけです。 どんだけ時間かかるねん! 緊急を要するときに、そんなに正しくある必要あるのかな? 誰かに責められたり、処分されたりするのが怖くて何もできないのかな? それなら減点方式はやめて加点方式の査定に変えていかなきゃならないよね。 今回の震災でも自衛隊が安全確認が取れないという理由で着陸を拒否している場所にも、米軍は救援活動を繰り返していたと聞く。 そりゃもし墜落でもしたらえらいことになるだろうが…どこに安全の保証があるというのだろうか? 緊急事態において危険というものをどこまで折り込み、どこまで排除するかについても考えなくてはならない。 今のままで単に新しいマニュアルを備えたところで、それ以外の事象が起こればやっぱり対処できないでしょ。日本人は。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011/06/07 06:44:05 PM
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