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頭の中のふわふわしたもの

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2010年05月05日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
人生は退屈だ。

漫画や小説に出てくるようなワクワク感やドキドキ感を日常で感じられる生活は、特に日本では体感できないだろう。


この世界に対する夢物語は、いわゆるサイエンスフィクションだけに留まらず、フィクションと名のつく作品の一部または全部に嘘(というと聞こえが悪いが)を含んでいる。


つまり魔法とか、宇宙とか、そういうカテゴリーだけでなく、設定は現代だが、登場人物は架空である場合にもいわゆるフィクションに分類される。


それを考えると、我々のただただ与えられた業務に追われ、作業的に過ごす日常など、退屈と言わざるを得ない。


ここまで退屈と思わせる所以は、やはりそういったフィクションの著しい発展にある。


この世の中には、それこそ世界一大きな図書館にも入らないほどの物語がある。

日常生活の中でもドラマや漫画や都市伝説に至るまで、実に様々な非現実が溢れている。

そんな中過ごしていれば、自分の日常の中に少しでもそれに類似した奇天烈な現象が起こることを望むことはしごく当然であろう。


しかしながら私たちは、そんなこと起きるハズがないと、ある種割り切って生活している。

想定は世間の常識の範囲内で行われ、それはたいがい的中するだろう。

そのことがまた私たちの予測の精密さを証明し、ここが現実であることを再認識させる。

そうすることで退屈さを感じないでいられるようになっているのだろう。




しかしながら実際そんなフィクションのようなことが現実に起こったとき、私たちの思考はそのものを拒絶しる方向に働くようだ。


それは意識的な存在否定ではなくて、もはやそのありえない現実を夢幻のように無意識に記憶を改ざんしてしまうほどの強い拒絶反応だ。




私はこの前友達にこんな話を聞いた。

去年の年末のこと。
ある駅で電車を待っていたその友人は、日頃あまり遭遇することのできない光景を目の当たりにした。


自殺だ。


男が電車に轢かれ、身体が真っ二つになるところ。
年を越せなくなった人が飛び込んだらしい。
唯一救いだったのは、断面がこちらを向いてなかったことだと彼は語った。



それを聞いたときはとても驚いた。
実際あるんだな、と思った。


しかし次の日。

私の頭の中でその話を聞いたという記憶は本当に夢だったかのように薄らいでいた。

そんな話を聞いた気はするが、前後の記憶がまるであやふやになっている。

私の頭には、友人から話を聞いている状況よりもその時想像した人が轢かれる現場の方が鮮明に残っている。


人から聞いただけでこれだけの拒否反応が出ているのだから、実際見た友人は、突然訪れた非現実にショックを覚えたことだろう。




非現実が現実に起こることは、フィクションの世界に飛び込むようなものだ。

それは日常の中に潜み、ある日突然現れては、すぐに記憶の彼方に消えて行く。





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最終更新日  2010年05月06日 12時57分14秒
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