しまった…
早く寝ようと思ってたのにィ~。何やってんだ、私(TOT) 結局ダラダラ起きています、またも…ホメオパスの助産師さん(お世話になった助産師の先生から紹介してもらった)から送って頂き、ホメオパシーも飲んでるんだけど(すみれさん、アドバイスありがとうございました♪)、変化は…うーん、今のところ特になし。夜眠れないんじゃなくて、単なる夜更かし好きってことか…?考えるに、私は子供の頃から「ダラダラ」というのが染み付いている。物事を切り上げるのが苦手なのだ。そうだ!だから、ダラダラ酒を飲んで終電ギリギリになったりとか、ダラダラ立ち読みをしているうちに閉店時間になったりとか、そういう…あ、結婚は、ダラダラ付き合った挙句じゃありませんでした。でも多分、それは、私が頑張ったからじゃありません。ダンナが「思い立ったら即!」の人だからです。それと、私とダラダラ付き合ってくれる人がいなかったからかも(笑)ま、とにかく、「ダラダラ」が好きなのです。だから、やめられないのです、多分。ううっ 哀しい。「ダラダラ」が好きだなんて。一生ダラダラしてていい、と言われたら、きっと一生パジャマのままで、ダラダラダラ…と暮らしているに違いない。ダラダラと朝から酒を飲みながら、万年床で本を読み、腹が減ったらカップ焼きそばか何かを食べて、小腹がすいたらチョコレート齧って…と、正直そんな暮らしに憧れる~。ダンナが「オレがいなかったらオマエはきっとホームレスになってるな」と、昔言ったのは、そのあたりを指しているのかもしれない。昨日も、有隣堂(神奈川県ではメジャーな本屋さん)で、かれこれ2時間くらい立ち読みをして、店員さんに邪険にされてしまった。さらにその後、ヴィレッジヴァンガードでダラダラしてしまった。どちらでも何も買わず…。いや、欲しいものは確かにあるんだけど、これって本当にいるかなぁ とか考え始めるとダメなのだ。それこそダラダラと考えて、結局やめちゃう。ダラダラしているケチケチ女。すんげー、ウザそうだ。本屋さん。以前、本屋というのは元気をもらうために、とか、ストレスを解消するために、立ち寄る場所だったのだけど、最近の本屋さんはどうもその逆になっちゃう。世の中のせいなのか、暗い本ばっかり平積みされてるからだと思う。特に文庫とか、単行本のあたり。ここ2~3年、そう感じるようになった。重く悲しい本を読んでも、耐えられる気持ちが私にないだけか?重松清さんの本とか「これは読むべきなんだろうなぁ」って思うんだけど、どうにも、レジまで持っていく気力がないのよね。何度か立ち読みはしてるんだけど。パラパラじゃなくって、少し読み始めちゃうわけ、棚の前で。でも買えない。読み終わった後の気分を考えると、どうも…で、しょうがないから、料理の本とか手芸の本とかの棚ばかり見て帰ることになる。旅行の本とかね。昨日は平野啓一郎さんの「葬送」を読んでみようかな、と思って行ったんだけど、結局買いませんでした。書き出しが身体にスッと入ってこなかったので、今は読む時期じゃないのかなーって思って。読む時期、読める時期って大事、だと思う。そういうのが、あるんだよな、不思議なんだけど。キッカケはなんでもいい。人から勧められてでも、本屋で手に取ってでも、新聞の書評欄で見たとかでも。逆に言えば、キッカケがあっても、身体にスッと入らないと、それは読む時期じゃない。アクマでも、私の事ですが…他の人は、どうなのかな?荻原浩さんの本は、ゴミ捨て場にあったのをもったいないからって拾ってきて、それでスッと読めちゃった。「神様からひと言」という、サラリーマン青春もの。でも、同じようにゴミ捨て場から拾ってきた谷村志穂さんの「海猫」は結局未だに読んでない。乃南アサさんの本も、拾ってきたけど読んでない。(ウチのマンションのゴミ捨て場には、けっこう本が捨ててある。資源ごみの日に。本だけはもったいなくって、気になる本は絶対拾っちゃう!)拾っても、あるいは選んで買ったとしても、自分にとって読む時期が違うと、読めない。現在、こんなにも自分にとって大事な須賀敦子さんの本も、買ってからしばらく放置されていて、ある日なぜだか突然読んでみて、それからのめり込んでしまった。すごい、不思議だ…。なぜなのかっていうのは、勿論内容にもよるし、文体にもよるし、それを受け止める自分の気分や体調や精神状態にもよるし、すごいいろんな要素があって、それがうまく重なると、スッと読み出せる。…当たり前のことでしたね。ハッこの日記も、ダラダラ書いてるなぁ。眠くなってきた~。よし、寝るぞ!!