ショパンコンクールつれづれ
始まっているようです、2010年のショパコン。昨日、今日はエチュード2曲、バラードもしくはスケルツォ1曲、ノクターン1曲、というようなスタイルで課題が出ているようです。ここから何人に絞られるのかな。ドンヒョクくんの演奏で、バラ1と、エチュードも何曲かはかなり聴いたので、演奏者によって違いがわかって面白いです。特にバラ1みたいな曲は、演奏者の解釈なのか、技術なのか、その両方なのか、ところどころのフレーズでは、全然違う曲のようになるのでびっくりします。ショパンはこの曲をどんなふうに弾いて、どんな想いを込めたのでしょうか。感想や感情を聴き手に委ねたとしても、作り手としては、必ず込めた想いが、ゆるぎない想いがあったはずだと思うのです。それを弾き手に求めたのかな、それともやはり、聴き手と同じように、弾き手に総て預けてしまったのでしょうか。今まで、年を重ねた人でないと、感情の重みを表現できないのではないか、さまざまな経験を積んだ人でないと、音に深みを持たせられないのではないか、と思ってきたけれど、ドンヒョクくんの出現によって、その考えはあっけなく崩されました。本当にあっけなく。ショパンコンクールも同じことで、挑戦者は、そのすべてをかけて弾いてくるわけだから、そこには様々な音があり、人生があると思う。それをどう受け取るか、それもまた審査員や聴衆それぞれにかかっているわけだけれど。音楽の素晴らしさと怖さは、文字のように目には見えないから、その一瞬ですべてを感じとってしまう、もしくは感じとらなくてはいけないところだと思います。その一瞬一瞬が連続して訪れるわけだから、審査員は大変だろうなぁ。その音を評価しながら、同時に自分がむき出しになる瞬間。(たぶん続くw)