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カテゴリ:思うこと。。。
本日御巣鷹の尾根への慰霊登山に行って参りました。

夕べ遅くから雨というお天気のため今回同行する予定のれおママから
どうなるのか心配で電話が掛かってきましたが、多少の雨なら大丈夫。

朝の7時半にふもとの上野村ふれあい館で待ち合わせ。
そこから20分程山道を車で登ると駐車場がある登山口に到着!
その頃には雨も止み涼しくて登山には最適の気候に。

以前はもっと下の旧登山口から1時間以上も急峻な山道を登った厳しい登山でしたが
ダム工事に使った工事用の道路が少し山の上まで延び
昨年からはそこの道路を使わせてもらえるようになり最後の急な山道は残っているものの
時間的には半分程度に短縮になり随分と楽になりました。

今日はいつもとは違って早朝出発なので他には誰もいません。(今まではたいがい午後でした)
まずは日航機が激突した場所に立つ昇魂の碑をめざして登りお参りを済ませ
その後山のあちこちにある各墓標を回りながら生存者が見つかったスゲノ沢へとコースを取ります。

墜落し機体が散乱したとされる場所の端から端まで行こうと思っても
とても広範囲な事と大変急な斜面なので全部をお参りする事は出来ません。ごめんなさい。
それでも最初に登山を始めた頃には機体によってなぎ倒されたり炎上したりして失われた
山の木の代わりに植樹された木がまだ小さくて昇魂の碑の前に立つと
陽が照って明るく見渡す事が出来た山の斜面も
今ではうっそうと木が生い茂り長い時間が経ったことを否応無しに感じます。

スゲノ沢で最後のお参りを済ませると今度は急な山道を降りるのですが
いつもの事ながら登るよりも足元が滑る下りの方が気を抜く事が出来ず大変です。
この道を高齢になったご遺族の方が今も登っていると聞くと
どんな思いでこの山道をと胸が締め付けられる思いがします。

山を下って上野村の東からの玄関口に近い「やまざと」さんで昼食の手打ちうどん。
御巣鷹への登山へ行ってきたことを話すとおかみさんが
事故の記録が掲載された本「鎮魂のしおり」を見せてくださり
当時の体験談を交えたお話を聞かせて下さいました。
どんなお話を聞かせて頂いても目頭が熱くなってきます。
とっても温かなおもてなしを受けて美味しい天ぷらうどんを頂き今度は慰霊の園へ。。。
ここは犠牲者の未確認のご遺体が荼毘に付された後に合同で納められている場所です。
色んな資料や事故当時の写真や新聞記事ご遺族や関係者の方が書かれた追悼文集やお経など
沢山の展示物があります。

ここでのお参りを済ませて今年の慰霊登山は終了となりました。

私が毎年登っている事を知ると「誰か身内やお知り合いが?」と良く聞かれます。
私の事故当時の記憶、それは高崎駅から用事でタクシーに乗ったときに
「今藤岡体育館から帰る人を乗せたもんで匂うよね。」と運転手さんから言われた時のこと。
車に乗ってから気にはなっていたその臭いにとっても強い衝撃を受けたのです。
その時に遺体確認が行なわれていた現地の藤岡ではごった返していて大変だったことも
運転手さんから伝え聞きました。

その何年も後になって私が住む県内で起った史上最大の被害者を出した航空機事故が
歳月とともに風化されていくということを山に登れないご遺族の方が心配されていると
各方面から聞くうちに何か私にでも出来ることはないのかと考えるようになりました。
それから事故に関する記事や資料を借りたり頂いたりして当時の報道で感じた以上に
どれほど大きな事故でありそれぞれの悲しみが未だ癒えずに続いているのかも改めて知りました。
でも自分では何をしたらよいのか分からなかった時にまずは慰霊登山に行ってみよう
この目で現場を見てみようという気持ちになり、それから毎年慰霊登山をするようになりました。
風化されないため、しないためにはまず私自身があの大きな悲惨な事故を忘れない事、
そして被害にあわれた方達が無念と恐怖の中で亡くなって果たせなかった事を
少しでも自分の身に置き換えてしてみたりする中で少しだけ私自身の気持ちが
かえって癒されるような気がここ何年かはしています。

そんな折つい先日那覇空港で中華航空機が爆発炎上し、あわや大惨事になるところでした。
もし私がシャドーとメイを一緒に旅客機に乗せていたら
乗客である人間はすんでのところで救出されて助かったかも知れないけれど
貨物室に預けた私の家族はどうなってしまったのだろうとふと恐怖に思いました。

日航機の墜落の時も事故が起ってからしばらくの時間、生存者は他にもたくさんいたことが
のちの証言から明らかになっています。
事故後すぐに米軍が炎上する現場を特定し現場上空で待機
自衛隊も上空にたどり着いたものの夜間の長時間の低空ホバリングでの
二次災害などによる危険もあるためか降下の命令は残念ながら下りなかったそうです。
そう知ると仕方がないと思うのですがやはり無念でなりません。

空の安全の本当の意味と命のはかなさや大切さや尊厳というものを
犠牲になった521人(うち胎児1名)の方々が身を持って示してくれているのですから
今後は2度と同じ過ちを繰り返されることのないよう心より祈っています。

そして私は与えられた命を大切にし感謝することを忘れてならないと
常々この事故と重ね合わせて思っています。

いつになく真面目な文章ですが最後まで読んでいただきありがとうございます。

     観音像慰霊の園うどん
写真左から旧登山口に建つ観音像、村内の財団法人慰霊の園、やまざとの手打ち天ぷらうどん。






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Last updated  Aug 24, 2007 05:35:02 PM
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