受け手が判断するもの
「努力したんですよ!」再テストが不合格だった塾生が言ったが努力したかどうかは受け手が判断するもの。努力ほど人によって差があるものはないAにとっての努力はBから見たら鼻で笑うレベルの自己満足かも知れない…の中でも、こう書かれている。自分にとって不都合なことでも、相手にオープンにできることが正直さだ。「俺は正直だ」と自分で言っても意味はない。正直さはあくまでも受け手が判断するものである。ただ口ばかりうまくて「私は正直です」とアピールされても信用できない。自分の事を「熱血」と言う指導者も同じ熱血かどうかはあくまでも受け手が判断するもの。よーし俺の事をこれから「熱血塾長」と呼んでくれ!!!( ´,_ゝ`)( ´,_ゝ`)( ´,_ゝ`)( ´,_ゝ`)( ´,_ゝ`)( ´,_ゝ`)プププ…ごめんなさいムリ自分の事を「熱血」って言いきってしまう感覚が俺には理解できません・・・