科学・非科学:「モノ‐3」
「財産を投げ出しなさい!」・・・時々宗教などで耳にしますかね。 お布施の形でお金を収めることによって、物質的なしがらみから精神的に解き放たれるような意味合いがあるのでしょうかね?そして本人には、「執着していた(大切な)モノを犠牲(引き換え)にするのだから幸せに・・・」的、自分自身との契約的力を感じることもありますね。厳しい「練習」や「苦行」など、よく自分の想いを遂げるために遣われる手法と感じます。 皆さんは値段の高い薬と安い薬、どちらが効くような気がします?私は高い方ですが、おそらくそう想って飲むと効き目も良いと感じますね。また、自分の持ち物を自慢するとき、真っ先に「これ○○円したの♪」など、お金には本来の価値よりも満足感や信頼を上げてくれる力がありますね。ただ、期待を裏切ると期待の何倍にもなる恨みに変化したりしますね。 宗教に絡む霊感商法などがそんな1例であると感じます。勿論そこには明確な悪意が含まれていることも多いと感じますが、お金が絡むと怖いですね。ただブランド品や宝石などには霊感商法的不信が生まれないんですよね。いくら職人が精魂こめて造った1点モノでも、事実一度購入した物(未使用のモノでも)は、質屋に出せは何十分の一の価値になってしまいますしね。 私は広い意味でモノを渡さずに「ヒトのため」とか自分に言い聞かせて行うこと・・・例えば気の施術などにおいて、例え相手に満足を与えられた実感を得ても、報酬を頂くことには抵抗がありますかね。ただそうやって報酬を断ったことで相手に不安や気兼ねを与えてしまうことも少なくないですね。そして時に自分の負う「責任感」にも違いを感じますかね。 そして時に、本当に相手を優先して考えるなら、自分の中に「負い目」を創ることに大切さを感じます。でも私はやはり自分だけの拘りとして、出来る限り気功の施術とお金には距離を置いていきたいと感じています。命(食べて行くこと)には変えられないと感じるのも正直な所ですがね。(笑)人間、「持ちつ持たれつ」とも願っています。(08.9.7著)・・・・・・・・・・ 「10回払いで買っちゃった♪」 「ローン」っていうシステムも不思議ですよね。分割して払うことにより一回の支払い額だけを見れば時にはなんか得した気にさえなってしまいますが、結果的にモノによっては定価の2倍以上も払っていることになっているのですよね。おそらくお金持ちは一括でモノを購入するわけでしょうから、結果的に彼らの方が安くモノ手に入れられるシステムですかね。 また実際にはまだ払われていないのに数字上の利益として計上されてしまうのですからね。払われる保障などないのに・・・。 国には莫大な借金があるようですが、そのお金を貸しているのは主に銀行(国民)であるようなのに、国民一人当たり数百万の借金があると表現され、いざその銀行が危なくなれば一千万円を超える個人の預金は返さなくても良いようで・・・なんか最終的に国が苦しくなるとそんな形でも精算しようと考えているんじゃないですかね? であれば、ある程度裕福な人だけに影響が出る訳ですから心配も無さそうですが、切羽詰るとそれ以下の人達のお金まで押さえられちゃうんじゃ・・・それとも消費税引き上げの布石ですか?ある程度一定した量のお金を奪い合って経済は成り立っている訳でしょうから、あちこちでそんな数字ばかり先行して行けばつじつまが合わなくなってパンクもしますよね。 結局は国債をバンバン発行し続けて、行くところまで行くしかないのでしょうけれどね?どうせ刷るなら現金にしてもらって、皆に配ってくれないかな?お金とはもともとモノとモノとを交換するまでの借用書のようなモノなんでしょうけどね。だとすればモノが増えてくれば流通するお金も増えて良いと感じますがね。ところが増えすぎたモノの方を捨てるんですよね。 お金やモノの量が増えるとその価値が下がったり、お金がお金を生んだり、インフレ・デフレとか、お金や数字(システム)にはそういった意味でも魔法(トリック)的力を感じます。そして政治家達も、自分が生きている間だけこの金融システムが持てば良いくらいにしか考えていないのでしょうけれどね?(09.11.29著)・・・・・・・・・・ 円高を止めないと・・・ 輸出企業によっては為替が1円下がることによって300億円も利益が下がるところもあるようで、まして輸出をメインとする日本では円高は国の死活問題にもなるようですね。よって為替市場からは、政府の直接的な為替介入も期待されても居るようですが・・・それは「催促相場」とも言われているようですが、であればその期待に乗ってしまって良いのですかね? そもそも株なども含め、日本の市場に参加しているのは大半が外国人だと聞きますし、リーマンショックとかで、そういった金融のカラクリも以前より表にでてきたりして、あまりそういった市場に参加している人の絶対数も変わっていないようですから、そうなると同じメンツである程度決まった量のお金を取ったり取られたりしていることになりますかね? 外国の金融企業は他人のお金を遣って得られた利益をその場で山分けして直ぐに個人資産に変えてしまうとも聞きますし・・・その個人資産を確保したまま同じメンツで奪い合いせずに増やすとなれば、狙われるのは「国の金」、特に外資ということにもなりますかね?日本が円高回避のために介入した税金が外国の投機筋に吸われてしまうことは無いのですかね? 最近金持ちは減ったようですが、その分桁違いな金持ちが生まれているようで、個人や組織単位で各市場も操作も出来るように感じますがね。10円の株が0.何秒にして1円に堕ち、数秒後に9円に戻り、その原因は個人投資家の誤発注で納まりそうですが、誤り・故意であれ個人・組織であれそんなことが成り立つ仕組みや株式自体の意味に疑問も感じますかね? また資源の少ない日本にとっては、円高は悪いことばかりではなさそうな気もしますが・・・国内にはモノが余っているようですし、外国に吸い上げられて国の借金が増える心配のある方法をやるくらいなら、じゃんじゃん円を刷ってしばらく国内でお金を回していれば円の価値も下がって自然に円安になるようにも感じますがね?そういう問題じゃない? まあ銀行や企業を通さずに直接庶民に配られないとそれも意味はないでしょうし、既にお金持ちにとっては円高・デフレは天国なんでしょうけれどね?私なども欲しいものが無くてもお金が溜まっていくだけで安心を感じたり、また遣り甲斐も持たない私にはマネーゲーム的なことに生き甲斐や遣り甲斐を感じるヒトの気持ちにも割と抵抗無くなれたりもして・・・ 危ない危ない!とにかく金融(数字)的カラクリには気をつけましょうね。(10.9.5著)・・・・・・・・・・ 災害地へ億円単位での義捐金をする有名人達もいましたね。 自分の生活と計りにかけ、せいぜい数万円単位でしか出来ない私は負い目すら感じますがね。でも考えてみると、例えば10億円の資産を持つ人だったら、5億円位寄付しても、一般の日本人の一生に稼げる平均額が2億数千万円位だとすれば、残りの5億円ですでに一生働かずに(一生報酬を貰わなくても)、平均の倍の水準での生活を送れるということになりますかね? それに比べ、一般の人は一生働き続けてその額であり、それでも現状は暮らしがきつかったりもする訳ですから、一般の人の現状の数万円の価値は、お金持ちの数億円よりも重いという事になりますか?まあかなり嫉妬を含めましたし、私も一度高い生活水準を経験してしまったら、少しでも落とすことに強い恐怖を感じることも想像出来ますので・・・ また原発事故において、専門家達の「想定外」と言う言葉を聞きますが、確かに専門家とは言え、先の事・自然現象の事を完全に想定する事は無理であるとも感じますが、今回の「想定外」には予算(お金)の絡みで「想定をさせて貰えなかった」的なモノもあったように感じますかね。原発を誘致した地域へ入る国の補助金でその辺の対応も出来なかったですかね? その補助金は主に地元の建設関係に流れていくとなればそこで不公平も発生しそうですが、それを外して見ても、どうせ公共工事で箱モノを造るのであれば、そういった原発の安全性を増すための工事に回していれば・・・「原発は安全である」を前提に誘致したので、建前にもそれは出来ないのでしょうけれどね?安全性(命)よりも経済を優先したとも言われ・・・ 原発は危険なのは分かっているけど、無くなると広い範囲で当面の生活に響きそうだったりして・・・例え今の電力会社の話しに嘘があったとしても、開き直られてヘソを曲げられてしまったら・・・未来の子供達にツケを回さないようにすると、今の子供達に苦労をさせてしまいそうで・・・今の世の中の仕組みでは経済危機が命の危機にも繋がってしまったり? 特に家族を持てば目の前のお金が優先されて・・・「大義を通せないような人間には、家庭を持つ(子供を教育する)資格は無い!」なんて言えますか?今の世の中の仕組みでは、多くの人が命とお金を強く結ばれているようで・・・と言うよりも様々な表向きの見え方はあったとしても、常に他人よりも自分(の満足)が優先されると言うことですかね? そしてヒトの善意にいちいち裏(嫉妬)をつける自分にがっかりも感じますかね。(11.7.7著)姉妹日記「モノ-1」・「モノ-2」へ / 「索引1」・「索引2」・「索引3」へ