自分のしてきた事は、残るよ。どんな形であれ。
・・・今日は、旦那の二回目の手術でした。まぁ、前の時よりもスムーズに済んだようで、経過次第では週末に退院できるの事・・・・・・三回目は・・・・ないよな??んで。お家に帰るとポストに飛騨高山の「宗猷寺」さんから、「宗猷寺便り」なる郵送方式のメルマガみたいなのが届いてて、その中にある寺子屋で話を聞いた子供が書いた素敵な詩があったので、ここに記しておきます。『寺子屋で学んだ生と死』寺子屋で学んだことそれは生きるということみんなと話ができるみんなと遊ぶことができる息をしていられるそれが今生きている証明寺子屋で学んだことそれは死ぬということ人は死ぬと生き返らないでも生きている間にその人がしてきたことでみんなの心にその人のことが残るか残らないかが決まる寺子屋で学んだこと死ぬと全てが無になる訳ではないこと生きている間私達のしたことが死んだ後も残るのならば私は命をくいのないように生きていく精一杯力強く・・・・そうですな。自分がして来た事は残る・・・・・・それが良い事であったり悪い事であったり、何らかの形で、残る。それが「人間が生きて来たという事」だと。この詩・・・・・・・いじめや闇バイトとかで犯罪する人や、あおり運転する人、モンハンでチートとかする人、迷惑動画とか投稿してる奴らに、見せてやりたいわ!!!!うん!!!www・・・おしにゃい。