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カテゴリ:日々のこと
自分の心を開くことによって、相手の言葉が入ってくる。
それが自分にとって都合が良いことであれ、悪いことであれ、 相手の言葉が入って来ないことには、何も変わらない。 そして、自分の心を開かなければ、相手を受け入れることは出来ない。 心を開く相手を間違うと、もしかしたらそれはとても辛いことになるかもしれないけれど、 開かなければ、自分にとって何が違って何が正しいのかもわからない。 心を開いたつもりになって、「私はすべてわかった」と勘違いすることは、 とても危険で、そういう状態をみている周りはとても悲しい気分になる。 自分がかわいそうだという同情は求めるけれども、変わるための助けは求めない。 世界で一番自分が可哀想、という自己憐憫。 自己憐憫にはまるとなかなか抜け出せず、自分で気付かないことも多い。 自己否定への陶酔というのはとてもナルシスティック感情で、 他者に対して発するメッセージの端々で特別扱いを要求する一方で、 どうせ分かってもらえないと拒絶し、相手が自分に十分な愛情や気遣いを示してくれないことを非難するが助けは受け入れない。 それは、二重三重のメッセージを出し続けていることになる。 周囲とうまくいかない一因となる。当たり前だ。 不幸に酔うという状態にいる限り、自分の心は開けないね。 自分しか自分の心は絶対に開かない。 他人がいくら開こうとしても、それは無理。 他人が無理やり開いた心はすぐに閉じられてしまう。 そして、孤独になり、孤立する。 そんな人を見ていると何ともいえない気持ちになるね。 ちょっと、いやかなり真面目な私心。 私は今までどおり、心を開いていこうと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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