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ドクター佐野千遥の抒情詩
「正統派」現代法学・政治学批判 第1章:「正統派」近代・現代法学批判 原生林の樹木一本一本は 人が決して真似できない個性を持った素晴らしい芸術作品である。 原生林の梢越しに空を眺める時、人は必ずある種の感慨に駆られる。 野花の咲き乱れる野山に人はこの世の楽園を見る。 抒情詩を書いてみました。 大自然の新緑の野山の草木たちよ!君達は何故如此も美しいのか? 来年はもうこの世に居ない事を予知しているかのように、 君達の生涯においてもう二度とこの眼に眩いほどの新緑を 母なる地球に燃え立たせる事がないであろうことを知っているかのように、 晩春の今、君達原生林の草木は 今を限りの愛らしい崇高なる姿を私の眼に焼き付けている。 遣られても遣られても、 人間達が呼吸できるための酸素を創り出して 徹頭徹尾人間達に心底の愛情をもって尽くしてきた 君達草木を、第二東名建設のため 人間どもはこれから邪険に扱い、切り倒し殺そうとしている。 君達草木の崇高なる心が私の心を打つのだろう。 君達の清い心の世界には物質的打算に基づく 言論・思想統制、言論・思想弾圧も存在しない。 私の苦手な数学 それも世界的な数学の超難問を4問解いたという・・ 物凄い頭脳を持った方ですが 詩の中身や以下の抜粋内容は同じ気持ちです。 道義的美学に於いては、 男性美の極致は、命を賭して正義の為に断固として闘わんとする闘魂、 負ける事が分かっていてもなおも闘わんとする闘魂=武士道であり、 女性美の極致は女性としての美人さではなく、母の子に対する母性愛である。 この社会正義の美学と社会的愛の美学の息吹を 倫理学・法学の中に吹き込むべきなのである。 人間は社会正義の美学と社会的愛の美学に 先験的に共鳴する心の仕組みを持っているのだから、 その人間が織り成す社会的人間関係を 社会正義の美学と社会的愛の美学に動機付けられて形成するべきなのであって、 物質的打算に基づく「権利」「義務」で取り仕切らせる事自体が 社会的人間関係を残虐なる社会的人間関係に変質させているのである。 宇宙史の中の、地球史の中で 奇遇にもこの同時代を生きた草木、動物達、 人類と人類同士は本来的に皆友達で有る筈である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013年05月24日 22時08分39秒
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