平和を求める闘士に出合って。
医院の夏休みを利用して車で神戸まで出かけて、パッチアダムス先生にお会いしました。映画『パッチアダムス』を観てから、私の中で、彼は兄弟のように感じられていたからです。直接お会いしたパッチ先生は、野武士のような気迫の持ち主で、『闘士』と呼ぶべき「豪傑」でした。そして、彼が経験し続けている深い悲しみと苦しみは、医者としての私が、やはり同じように感じて来た、『この世界で生きる事の苦しみ』と同じものでした。彼はまた、とてもアメリカ人らしい苦悩も抱えていました。その苦悩は「正義」と「愛」の相克という苦悩です。パッチ先生がこの相克を消し去るために見いだした、とても彼らしいコミニュケーションの手段、救いの光が『ピエロになること』(クラウニングといいます)でした。パッチ先生は、神戸の懇親会の会場で出された『先生の理想は何ですか?』との最後の質問に『私の理想は、正義と平和と共感(同情)を誰もが得る事の出来る世界を作る事です。』と答えてくれました。この答えの中には彼の苦しみが表現されています。なぜなら「真の平和」と「正義」とは、この世界では同席することが出来ないからです。私の師、スィルはいつも3つの状態について語ります。『無批判(non-judgement)』『目覚めていること(平和)』『共感(Sympathy)』私は、パッチアダムス先生に平和のほほえみがあるように祈ります。苦しむ者とともに苦しむパッチ先生に神様のご加護がありますように。