『波動測定器』の落とし穴
第四回バッチフラワーコンフェランスでの質問に対するお答えの続きです。以下本文『質問: 講演後の質疑応答で石川先生は「人間ではなく、動物に対してなら、波動測定器を使うことも有効です」とおっしゃったと思うのですが、どのような意味なのか詳しく説明して下さい。答え:(アントロポゾフィー医学のための医師会に属する医者としての立場から答えています)ルドルフ・シュタイナーは、人間が「肉体(物質体)」「エーテル体(生命体)」「アストラル体(感受体)「自我(霊)」の4つの構成要素で成り立っていると説明しています。同時に、世界そのものも、物質界とエーテル界、アストラル界、神界の4つの世界が重なり合ったものであり、我々の肉眼は物質界だけを認識していると述べます。シュタイナーの人間観と世界観を、バッチフラワーレメディを理解するための参照図として利用した場合、私達が「否定的な感情」= 「自分としてはそのようでありたくない状態」を自分で認識し、その感情状態を指標にしてバッチフラワーレメディを選択、服用するプロセスそのものは、本来の人間の在り方(あるいは目指すべき在り方)と比較して「歪んだ」「傷ついた」「複雑化した」状態をレメディの助けによって「直し」「癒し」「単純化」して、シュタイナーが「自我」と呼ぶ「人間の本質(霊性=私)」をこの世界に輝き出させるプロセスであると理解出来ます。シュタイナーの精神科学では、・動物では「物質体、エーテル体、アストラル体」までが物質界に出現しているが「自我意識」はアストラル界に留まっていると理解されています。・植物では「物質体、エーテル体」までが物質界に出現しているが、「自我意識」は低次の神界にとどまっていると理解されています。・鉱物では「物質体」だけが物質界に出現しており、「自我意識」は高次の神界に留まっていると理解されています。人間とこれら3大世界(鉱物界、植物界、動物界)に属する存在を比べた場合、両者の最大の相違点は、「私」という意識がその存在を通じてこの世界に現出する事が求められているかどうかにあります。つまり現在の地球上で「人間以外の動物」に分類される存在たちは、この世界への関わりに関しては「自我意識」を発展させることを自らの存在課題とはしていないという事です。従って、動物の一生とその生命プロセスに関わるという事は、人間の感情とその人生の歴史に関わる事とは、意味合いがかなり異なることなのです。援助者として動物に対する時の私達は、丁度過去の西洋医学における医師患者関係のように、患者たる『動物』に対してあたかも父親や母親のように、ひたすらこれを保護し、導き、回復を手助けしてあげなければなりません。これは医学の世界では「パターナリズム」と呼ばれる医療者の態度です。一方相手が「私」をもった人間である場合、私達が援助者として為し得る最善の行為は相手が自分自身の「私」を強め、すべての他人の影響力から自由になる道を指し示す事です。上記の内容を明瞭に理解した場合、自由意志をもつ人間に対して『波動測定器』を使ってレメディを選ぶという行為が、一見相手を助けているように見えながら実は「自我意識ある人間」を「自我意識なき動物」のレベルに貶める行為だということが理解できます。これは同時に「完成されたシステムとしてのバッチフラワーレメディ」の、その『完全性』を失わせることでもあります。以上の事柄を理解した上で、なお私が「人間ではなく、動物に対してなら、波動測定器を使うことも有効です」とお答えしたのは、経験があり有能な獣医師である阿部先生が、講演の中で事前に『私はまだ動物の言葉を理解出来るレベルに達していないので、次善の策として波動測定器を使用しています』とハッキリ述べておられたからです。ですから、『動物の存在様式が前述のようなものである事を理解した上で「波動測定器」を使用する場合は、その使用がもたらす過ちは、相手が人間である場合と比較すれば許容できる範囲であり、動物の感情状態を推定するための道具として考えれば、波動測定器はおそらく有効でしょう。』とお伝えしたかったのです。コンフェランスの当日と今回の回答に関して、私がルドルフ・シュタイナーの精神科学の理論を説明の一部として用いているのは、私が医学者として取り組んでいる「精神科学」の理論が、レメディの作用機序である『タマネギの皮むき』というプロセスをより明確に理解する助けになると考えての事です。しかし、バッチフラワーレメディの恩恵に浴すためには「自分の感情を見つめてレメディを選び、飲む」というシンプルな原則だけが必要とされており、シュタイナーの精神科学やそれに関連した一切の知識は、実践上はまったく必要がないのだという事も、私は強調しておきたいと思います。』