『治療の書』14
逆ふこと背くことに腹立てることが悪いんですな、といふ人あり。然らず、腹たたば腹立つ可き也、腹たつるも腹立てぬふりして過ごすこと悪しき也。逆ひ背くことに会ひて腹たてざれば、逆ひ背くことの意知れり。かかる人逆ひ背くことに会はず。ただ人の性を見る也。人の性、本来随へられるに非ざるを、随へんとするが故に逆ふ也、また背く也。彼の背き逆ふことの因、我が裡にある也。彼の背き逆ふ心、その我が裡の心と同じ也、同じ心の現れ也。之を制するの要無き也。制す可しとおもへばいよいよ逆ふ也。制す可しと思ひて制せざればいよいよ背く也。「一生懸命に彼の為良かれと努るに、彼の背くは如何なるか」曰く「一生懸命なるが故也。彼の為良かれと努るが故也。努ること意識してゐるが故也。懸命を見せるが故也。その自ら懸命で努ること心に無く、ただ彼の為のみ計れば、その背く気力ありしを喜び得る也。その背くをとがめる気持あるが故に彼の背く也。彼の見浅きに非ず、我が見浅き也」。 治療のこと自然に行ふ也。之放置に非ず、工夫に非ず。神を以て偶し、目を以て視ず。官止まるを知って、而も(しかも)神行かむ、と欲する也。袖手傍観自然に非ず、万物の自然に随順する也。治療する者、治療する者としての自然の動き感ず可き也。その息する如く治療といふこと行ふ也。