二重の視座と見霊(認識)
今日の夕方の外来に「私は面倒くさくて、この子には何の予防接種も受けさせていないんです」と語るアトピー体質の男の子を連れたお母さんが来院した。この方の息子さんは、半年程前から当院に通院しておられ、かつて通院したという熱海の漢方専門の皮膚科医からは、「息子さんのような体質のお子さんには、予防接種は禁物です」と言われた事もあると言う。表面的には、彼女が息子さんに予防接種を受けさせずに過ごしてきたことは、偶然予防接種に対して好意的でない意見をもつ医者にめぐりあったからのように思われるが、その経過の本当の理由を、真の原因から結果に向かって説明するなら、彼女が内面的に、息子さんに予防接種を行う事が息子さんの将来に不利益をもたらすと気づいていた事が原因であり、彼女が、その熱海の漢方医先生や私を息子さんの主治医に選んだという事実が結果である。しかし、多くの人は、いや本人でさえ、表面意識的にはこの原因と結果を逆に理解している。丁度、肺炎における気管支内部での雑菌の増殖が肺炎の原因と誤って理解されているのと同じ事柄である。その患者さんの診察の後、TVの1チャンネルで、予防接種後進国である南米のある国で、予防接種に関する国際支援活動に従事する日本人女性を特集した番組が放映されていた。その番組は大変良く構成されており、彼女がその国の厚生大臣と予防接種を実施するための国内予算支出を求める交渉をして、幾多の困難を乗り越えて、ついにその国の貧しい生活を送る子どもたちが予防接種を受けられるよう、政府を動かす事に成功したという場面を放映していた。また、その困難な交渉にあたる彼女が、つねに念頭におくようにしている事は、「この交渉の向こうには、子どもたちがいる ! ! 」「子どもたちのために、私はこの複雑な交渉活動を遂行している」という思いだという事が解説された。最後の場面では、彼女がその国の子どもたちを訪問し、彼らに未来の夢をたずねるのだが、その場面で何人かの子どもたちが「医者になりたい」と語る構成だった。(外国からの支援活動で予防接種を受けた子ども達の中から、未来の医師が生まれるなら、それは希望の再生産であるとも理解されるだろう。)医者になることを夢見ていた中学生の頃の私であれば、このテレビ番組をみて、「ああ、将来私も医者になり、あの女医さんのように貧しい国の子どもたちのための一助になりたい」と、きっと思ったに違いない。今日そのテレビ番組をみた多くの人が、そのような形での海外への支援活動が、本当にこの世界から子どもたちの苦しみを消し去るための大きな力になるだろうと確信するような作りの番組だった。けれども、牛乳産業の裏側や、製薬メーカーの利益追求主義、便利で楽な物のほとんどすべてが人間の本質を覆い隠し人間性の実現を妨げるといった事実を、明瞭に理解できるようになった今の私には、その番組企画者の本当の意図、あるいは隠された動機が何なのかが、ありありと把握される。人は「偽りの自己」を維持するために、しばしば表面的な保証や説明を必要とする。今日アトピーのお子さんに同行して私の前に立ったお母さんにしてみれば、「熱海の先生が確信をもって息子には予防接種は合わないと説明してくれたから」や、「私はめんどうくさがりやだから」などの解説が、その表面的な保証や説明にあたる。しかし彼女の瞳の中を読み取るなら、実は彼女は、彼女のハイアーセルフが、あるいは内なる声が、「この子をこの子本来の姿に育てるためには、予防接種はさけるべきだ」と語るのを聞いたからこそ、息子さんを守っているのだ。隠された動機、表面意識には理解できない長い時間を貫く「衝動」、空間を超えた、意識と意識、物質と物質の結びつき。それらを明瞭に認識し続けるとき、私たちの眼前には、表面的には四苦八苦としか見えないこの世界が、間もなく秩序ある縁起の世界として姿を現す。そしてこの世界が縁起の世界である事をつぶさに観察すれば、この世界が縁起の世界であるがゆえに、必ずや消えゆく仮象の世界だということも認められるのである。このようなプロセスを経て、私たちが見霊(認識)を深める時、私たちは天上に上り行く霊魂や地上に残された個性の幻にとらわれるようになるのではなく、ついには世界と自己の本性を把握し、「覚醒した意識」に到達する。ここにおいて闇と光の境界線は消え、内が外であり外が内である事実が忽然と現れるのである。