高いポテンシーのレメディは何をもたらすか。
シュタイナーとイタヴェークマンが提唱したアントロポゾフィー医学(霊学に基づく医学)をアントロポゾフィー医学のための医師会の仲間達とともに正式に学び初めて5年目になる。学び始めた最初の年に、同僚というべき医師の一人が、ホメオパシーレメディを使用して体験した恐ろしい体験を教えてくれた。それは、頭頸部のある部分の炎症治療のために用いたホメオパシーレメディが脳炎を引き起こしたように思われたという体験だった。そして、彼はその体験を通じて、見霊能力をもたないまま、ホメオパシーのレメディを使用することに大きな不安を抱くようになった。そのゆえにこそ、同じ失敗を避けたいという強い願いを持って彼はシュタイナー霊学の道(アントロポゾフィー医学の道)に正しく参入することを求めた。私はそのような真摯な姿勢と患者さんへの愛情を持つ同僚を誇らしくさえ感じている。そしてまた、その彼の疑問が、私を刺激し続けてくれたことが、私自身が抱いていた疑問を解決する事へと導いてくれた。私が抱いていた疑問というのは、簡単な言葉で述べるなら、各種の「治療法」と呼ばれているものの『有益性とリスクのバランス』に、本当に徹底的な差があるのか?という疑問だった。もう少し具体的に言うなら、ホメオパシーを使う人の多くが「忌み嫌っている」ように見える西洋医学的対症療法と、ホメオパシー治療にどれほど本質的な差があるのか?という疑問である。私自身は、正しい認識と体験を積むことが出来れば、西洋医学の薬剤を一切用いずに、すべての疾患を自然薬と呼ばれるホメオパシー的薬剤で治癒に導くことが可能であると理解している。その一方、医者として長く西洋薬を用いた体験があり、また患者の立場でも西洋薬で何度となく命に関わる疾患や怪我を治してもらった体験もあり、西洋薬の必要性や有用性を頭から否定する事は出来ない。そのようなプロセスを経た私が認識した結論は、『ホメオパシーと西洋医学的な対症療法には、確かに本質的な差があるとも言えるし、守備範囲の広さと治癒力の強さでは、ホメオパシーの方が優れているとも言えるが、それを用いる医師という存在自体に、本質的な差、本質的な変容が生じないままでホメオパシーの高いポテンシーのレメディを用いるのなら、その医師が行う行為は、西洋薬を用いた時よりも大きな害を生み出すだろう。』というものとなった。そして、ここで私が言う「本質的な変容」とは、その薬剤と恋に陥り、その薬剤を愛し、信頼し、薬剤と一つになって患者さんへと向かうことが出来るかどうかの事である。それが実現出来るなら、西洋薬も、ホメオパシーを越えるほどの完全な治癒効果を発揮する。前出の敬愛する同僚が体験した「恐ろしい」副反応は、実は、インフルエンザの子どもに消炎鎮痛薬を解熱剤として処方した場合に生じる脳炎と、同じ経過で生じたものである。また、その患者さんが辿った経過は、そのレメディを処方した時点での彼のレメディの使用方法が、風邪に対して消炎鎮痛薬を用いる西洋医学の医師と類似していた事を示している。(友人の名誉のために申し添えるが、彼はこの五年間で血のにじむ努力をして、ホメオパスとしても、既に新しいレベルに到達している。今の彼は五年前とは別人である。)用いられない生命力は、疾患を生み出す。外に向かうことがないエネルギーは、自己破壊的に働く。(他者の幸福のために用いられない知識も、ただため込むだけなら、ついには毒になる。) 過去のブログにも書いたが、母乳を与える機会を失った母親が、動物性タンパク質を摂取し続けるなら乳癌を生む。出産の機会に恵まれなかった子宮は、しばしば子宮癌を生む。妊娠したい(肉体の)欲求があるのに、それが阻害された場合には、膀胱炎が頻発する。運動したい(潜在的な)衝動がある子どもに十分な運動をさせずに、甘いものや、噛まずに済む食べ物(オカアサンハやスめ.と呼ばれる食事など)を与えれば、中耳炎、近眼、蓄膿症、扁桃腺炎を生む。肉食を続けていて、夫婦生活の機会に恵まれない前立腺は、前立腺癌を生む。神様が与えてくれた肉体は、決して間違ったことはしない。体がしていることが、間違っているように思えるときには、私たちの認識が間違っている。過去の記憶や、発育の間に埋め込まれたプログラム、機械的な思考(死んだ思考、あるいは反射的な疑似思考プロセス)が、私たちを何度となく、何万回となく、ほとんど無限にさえ思える、堂々巡りへと連れ戻す。私たちの繰り返される地上受肉さえ、この反復される記憶により引き起こされている。そして、覚えていて欲しい、肉体が間違いをしないということは、『私たちが置かれているいかなる環境も、間違って私たちに与えられたものではない』という事と完全に等値であることを。西洋薬による治療でも、ホメオパシーによる治療でも、あるいは、手技療法でも、ある疾患を前にしたときに、その疾患が持つ意味を見通すことができないまま、症状だけを変化させようとするなら、私たちは、間違いを繰り返すことになるだろう。どんなに小さな疾患でも、見る目を持って見つめるなら、その意味を語る。その小さな声を聞くための修練こそがアントロポゾフィー医学の修練の本質である。私がその修練の結果認識した事の一つは、ハイポテンシーのレメディは、私たちが、地上に肉体を形成する前に予定した、「個人のカルマ的プロセス」=「個人と世界の関わり」を、本人の目覚めた意識の関与が生じる前に、あるいは、その苦しみが本人の意識の覚醒をもたらす前に、消し去ってしまうという事実である。アントロポゾフィーは、目覚めた意識の獲得を目指す道である。決して苦しむために苦しみを選ぶ道ではないが、眠りから目覚めるプロセスには、かなりの衝撃と苦痛が伴う。それは、確かにマトリックスという映画でネオが救世主として目覚めたプロセス全体と似ている。