ある患者さんからの手紙
謹白先日はご診察ありがとうございました。いつも熱心にご指導頂き感謝しております。以前にお話しした「純子と摩樹子」という本の感想を先生にみて頂きたい気持ちになって、毎日少しずつ書いています。以下はその感想の一部です。私が今感じている事を先生にご理解頂くためのご参考にと思い書き送ります。先の週末に1回読み、今週も、もう一度読んでみました。以前に先生が貸してくれた、多重人格の治療についての論文集にも少しずつ目を通しています。「純子と…」は論文ではなく、瀧野記者の主観をまじえた随筆的なレポートですから、あの本に基づいてでは、多重人格と虐待に関する客観的な理解を深めることは出来ませんでした。ただ、読んでいて私の子供時代から10代に起きたことを思い出させる個所がいくつもあり、また私自身の現在の性格や、私と娘との関係を考えずにはいられませんでした。日本の教育システムや社会環境が子供の魂におよぼす悪影響を理解し、私たち自身が自分の子供に目に見えない虐待をしないようにするには、私や私の娘が幼い子ども時代から受けた教育、教育の名を借りた虐待、性的倒錯経験、子供時代の自然な感情の破壊、を理解し、自身の力で、自分自身の魂の傷と歪みを癒さなければ困難だということはわかりました。実際に、現実の子育ての中で自分の中の抑圧と投影を見つけて行くことができなければ、私たちの親の世代が抱えていた問題や、祖父母が持っていた歪みは私たちの世代を超えて、代々受け継がれて行かざるを得ないでしょう。Sexual abuseを含む虐待経験は、極端な場合には解離性人格障害を引き起こします。私自身の体験からも言えることです。多重人格にまでならなくても、乳児期から思春期に経験した激しい苦しみや悲しみは、癒されない体験として、人の心のなかにたくわえられて、対人関係や特定の環境条件で繰り返し生ずる私自身の情緒の不安定さや感情の爆発の原因になってきました。また、しばしば同じパターンで繰り返されるネガティブな関係形成(虐待する夫や恋人を求め、現に繰り返し酷い目にあった私自身の体験)の源にもなっていました。同じような苦しみをかかえている多くの女性と子ども達の事を思わずにはおられません。この世界はある種の精神病院で、歪みを修整する必要のない魂は地球には生まれてこないという話も聞きます。石川先生は、「今のあなたの状態では、まだカウンセラーにはなれないでしょう」と言っていましたが、私の娘が思春期を迎えるまでには何とか、先生にも、まずまずのカウンセラーと認めてもらえるぐらいになっていたいと思います。石川先生はすでに、私のたった一人のカウンセラーになってくれていますが、私は自分の娘だけではなく、同じ苦しみを抱えている多くの女性達の役にたつ者になりたいと改めて思います。私に助けを求めてくる人の、全ての必要には答えられないかもしれませんが、力の限りを尽くし、神様の助けと力をこの身に受けてやってゆくつもりです。「純子と摩樹子」のなかに、「自転車をこぎつづけていないと倒れてしまう、そんな感じで生きてきました」という言葉がありました。私は自分を、海に泳ぐイルカみたいにフワフワとのんびりしていたい質(たち)なんです、と言いましたが、患者の一人として言わせてもらえるなら、石川先生の仕事のしかたをみていると、先生ご自身の中に、どこかしら「走り続けないといけない」と先生を突き動かしている感情があるようにも見えます。先生は私個人にとっても、多くの患者にとっても、かけがえのない存在ですから、どうかご無理をなさらないで下さい。私のようにフワフワとノンビリ生きることを目指して下さい。どうかご自分をいたわって下さい。私にとって、今までお会いしたどんな先生と比較しても、石川先生ほど私を深く理解してくださった先生は居ません。大人の私にとってもそうなのですから、まだ子どもである私の娘にとって、石川先生の存在がどれほど大事であるかは想像も出来ないほどです。診察室を出ると、娘はいつも私の顔をみつめて、「またいしかわしぇんしぇいに会いに来ようね」と言います。次回の診察で、また楽しいお話と深いご指導を頂けることを楽しみにしています。かしこ