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テーマ:不二一元論・悟り(101)
カテゴリ:カテゴリ未分類
心の本質は覚醒あるいは意識である。しかしながら、自我が心を支配するとき、それは理性・思考あるいは感覚機能として働く。自我によって限定されない普遍的心はそれ自体から分離せず、それゆえ、それはただ「気づいている」。これこそ聖書が「私は私であるものである」(I AM THAT I AM)という言葉で意味するところのものである。
心が真我である至高の意識のなかに消え去るとき、好む力・行う力・知る力といったさまざまな力も、意識の中に現れた想像の産物(幻)として見られて完全に消え去る。考える事や忘れることとして機能する不純な心こそが生と死の輪廻、サンサーラであり、考える事や忘れることといった活動が消滅した、真実の「私」だけが純粋な解脱そのものである。そこには、誕生と死の原因であるプラマーダ(真我の忘却)はない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年01月28日 11時44分03秒
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