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テーマ:不二一元論・悟り(101)
カテゴリ:スピリチュアリティと霊学
質問者:もし「真我」である私が、今ここに在るなら、なぜ私はそう感じないのでしょう?
マラハルシ:それを感じないと言っているのは誰だろうか?本当の「私」が言うのか、それとも偽りの「私」が言うのだろうか?調べてみるが良い。すると、それが偽りの「私」であることがわかるだろう。偽りの「私」が障害物なのである。(真我を隠すガラスの曇り。石川眞樹夫記)真実の「私」が隠されないように、偽りの「私」は取り除かれなければならない。「私は実現していない」という想いが実現(悟り)への障害である。実際には、それは既に実現されている。それ以上実現されるべきものは何もない。もしそうでなければ「実現」とは何か新しいものということになる。いままで無かったものなら、これから起こるという事である。誕生するものは、死ななければならない。「実現」が永遠のものでなければ、得る価値もない。それゆえ、われわれが探求するものは、新しく起こる何かではない。それは永遠なるものなのだ。ただ、障害によって、知られていないだけである。(輝く光が曇りガラスや、黒い壁で遮られているような状態。石川眞樹夫記)永遠に変わらぬそれこそがわれわれが探し求めているものであり、ただ障害(記憶に由来する幻想への同一化)を取り除くことだけが必要とされているのだ。永遠なるものは、無知のために知られない。無知が障害である。無知をぬぐい去りなさい(ゼロになる、空に留まる)そうすればすべて上手くいくだろう。 無知は、「私」という想念と同一のものである。その源を見つけ出しなさい。そうすれば、それは消滅するだろう。 「私」という想念は霊魂のようなものである。目には見えないが、身体と共に立ち現れ、成長し身体とともに消え去る。身体意識が偽りの「私」なのだ。この身体意識を捨て去りなさい。それは、「私」の源を探ることによってなされる。身体が「私」を主張することはない。「私はこの身体だ」と言うのは、あなたである。この「私」とは誰かを見いだしなさい。源を探ることによって、それは消え去るだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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