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テーマ:不二一元論・悟り(101)
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真我を直接探求する道と、バクティの道(愛と帰依の道)を説明した後での質問者との会話。
質問者:絶えず神に自分を明け渡そうという欲望を持ち続ける事で、より多くの恩寵が体験出来る事を私は期待しています。 マハルシ:きっぱりと明け渡し、欲望を捨て去りなさい。「私が行為者である」という感覚を持ち続けている限り、欲望は消えないだろう。それはまた、人格でもある。これが去れば純粋に輝く真我を見るだろう。行為そのものではなく、行為者であるという感覚が束縛なのである。 「静かになりなさい。そして私は神だと知りなさい」。この(聖書の)言葉は、この場合の「沈黙」が個人という痕跡を残さない完全な明け渡しであることを意味している。沈黙が支配したとき、心の動揺も消え去る。心の動揺が欲望、行為者という感覚、人格の原因である。それがやんだとき、静寂がある。この文脈では「知ること」とは「在ること」である。それは知識、知るもの、知られるもの、という3つの位相をともなう「相対的な知識」とは異なる。 …中略… 質問者:明け渡しだけでも十分に真我に到達出来るのでしょうか? マハルシ:自己を明け渡すことだけで十分だ。明け渡しとは自分自身を自己の原因の源に放棄することである。そのような源があなたの外側にいる神だと想像することで自分を欺いてはならない。あなたの源はあなたの内側にある。つまり源を探し出し、その中に溶け去ることが明け渡しである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年02月09日 16時16分35秒
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