青い中に連山の稜線が切り取つたように視野の中央にせまってくる。腰掛けた石の足元には午前九時の濃い影が百足や蟻の世界を囲いこんでいる。昨夜のすこしばかりの雨のなごりか朝の露なのか、拡大鏡でのぞき見るツリガネソウの先端には白い玉が日にかがやいている。わずかに数日を経て山はいっせいに五月の緑に染まつてしまつた。眼下の渓流は数ケ月前にふとどきな建設土建のたてた阿呆の爪痕をようやくにして半分ほども消したけれども、いたるところにほじくり返された荒れた肌がさながら厚化粧を剥がした女のそれをおもわせたりして、つま先立ちで天地を蹴つて、この格差だ下流だと肝心を隠した用語遊びのマスなゴミニケーシヨン産業社会のデジタリン狂乱娑婆をサツカーボールの切なさのごとくにおもいきり蹴り上げてみた。山吹の勢いの吹きあがるあたりに猪のまた蝶のまたまたタケノコがぼこぼこ出始めた背後の竹藪の、見上げるアゴの二重になつた痕を消しゴムで消しつつ寸足らずのもらいもんの中古ジーンズの汚れた藍色にけさのさわやかな空気をしみこませて晩春いや皐月のゆるい風を追つている。このところ出たり入つたりの毎日だが月も太陽も毎日そうしているわけだからそのくらいの出入りに草臥れるわけにもゆかない。ふた抱えほどの石ころに尻をあずけ、前方五十糎に在るもうひとつの石に左右の足を載せて朝刊を読む。
「米の歴史観・アジア戦略と対立」と題字脇に墨ベタ白抜き初号ゴヂック活字の縦見出し。横に「靖国」日米にも影、とこれは特号ゴヂック活字が横に立つ。ナニナニ云々…。「戦争を正当化することは、日本と戦った米国の歴史観と対立する。異なつた歴史解釈のうえに安定した同盟は築けない」と、これはジョンズ・ホプキンズ大学ライシヤワー東アジア研究所のケント・カルダー所長の弁がまっさきに紹介されて、「多くの米国人が靖国を知るようになると、日米関係の障害となりかねない」と同所長は恐れている、と記事の書き手(論説委員・三浦俊章)は重ねる。ブツシユ大統領が首相の靖国参拝を批判することなく、国防総省も日本の歴史問題を批判していないが、「外交を担う国務省内には、日米が協力して中国を国際社会のパートナーにしていこうという時に、日中首脳会談もままならない日本に対するいらだちがある」と記事はつづく。そうしてその記事の左にはならぶように「国が拉致、信じ難い」米大統領 横田さんと面会という昨日のホワイトハウスのブツシユ猿のパフオーマンスが四段抜き記事で掲載されている。そんな新聞紙全紙を中央で二つ折りしてながめながら、百円ライターで新聞に、いやタバコに火を付けた。中州のハナのところに釣り人がふたり黒い影で居る。そろそろ若鮎のシーズンだ。ひとりはやや小太りのしかし大柄で、ひとりはひょろりと長身。長身のほうが米国で大柄肥満をかりに中国共産党幹部とすれば、渓流の中に垂れた餌があるいはこのニッポン國なのではあるまいか。ぷかあとケムリ吐きつつ午前九時が退屈そうにしなだれかかっている。天下の商業新聞紙の論説委員が作文する「懸念」のお粗末は毎日のことだとしても、共産中国が向こう半世紀の絵図のなかに如何なる深慮遠謀を記しているかについて、たとえばイスラエルの諜報機関モサドあたりに伺いをたててみるほうがその真相は明解であろうとふとおもう。中国の情報機関とモサドのながい蜜月について、日本のジヤーナリストが無知であることは可笑しいくらい真実であると思えるからだ。裏返つた世界すなわち鏡の向こうの世界を知ることもなく、ひたすら水のオモテに立つさざなみに右往左往する日本の専門家の滑稽を、谷から渡つてくる五月の風が嗤つている。
冬蜂の骸運びて四月尽
下手人の蟻は姿を隠したままだ。
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