がらがらと引き戸を上げれば、雨だ。昼を廻って頭をめぐらし鼻先のなにやらふわふわぐちゃぐちゃを撫でまわす手が、なんかおかしいでっせオヤブンと訴える。朝方に寝たとき紛れ込んだ野良猫のハナコである。こいつはやたらと馴れ馴れしく必ずべたりとからだを寄せて舐めてくる。おそらくはまどろみのあいだじゅう顔中を舐め廻ったのだろう、それで洗面所に立って顔を洗ってようやく正気がもどれば日曜日の午後の雨であったわけだ。どしゃぶりというほどでもなくシトシトぴっちゃんでもなく秋雨の瀟々と眼路の遙かまで水の垂れ幕がけぶっている。午後二時をもうずいぶん針は滑って過ぎてがらんとした家中は「おーい秋」てな感じでひっそり静まりかえっていた。たしか七時過ぎに朝刊をとってそのまま寝た。熟睡したのか。闇鍋のようにゴッタ煮の夢の中にはカマキリや蛇も登場し、考えようでは秋らしい夢であったか。うつつがそれほど変化に乏しいと夢のほうは却ってハリキルらしく、言葉までのそのそと出て来て、それが川辺をあるきながら「水はみずから道をつくる」などと吐く。目覚めて、復唱するうちに至言なりと感動して、おもわず半紙に毛筆に墨汁を浸して一気呵成にしたためてみる。窓の外では育った桑の木の花札歌留多の桐の絵札の如き妖しさが曇天のけぶる秋空をバックに妙にいきいきとすがすがしくさえあった。あらためて味噌の中に、
溜まった水は腐るだけだが、流れる水はみずから道をつくる
と書いて、いましばらく呆然としてゐる。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
もっと見る