薄闇の中からぽっと白い顔が浮かんだ。見た顔だがおもいだせない。そのとき突然ラヂオが鳴り出し雨戸ががらっと上がっておんながひとりガラスの向こう側の庭先で笑っていた。またある夜明けには低空で地平線を飛んだ。白い波頭のような山地を抜けると眼下にいきなり大海原が展開し、それが回転して峠道をあるくオノレの視点が見上げる秋空のなかを白い航跡を残して飛ぶ二機の航空機の映像に変化する。わたしはどこだ?とわたしがあわてる、そのわたしの心象風景をそのままダダダダと韋駄天の走りがかき乱して、気がつけばまたも寝床の上である。めずらしく新聞を広げれば「ノーベル平和賞を受賞したイスラエルのペレス副首相らが、15人の専門家を集めてイスラム武装勢力を攻撃する人造ナノテク兵器の研究をはじめた」という海外短信記事が目に飛び込んできた。「隠れた自爆テロリストを一億ドルもする戦闘機で攻撃しても意味がない」と、より効率的な兵器開発をもくろむという。うるさい蚊やハエをたたき落とすごときその生命観の持ち主に与えられるのがノーベル平和賞という滑稽に、本日外遊予定の目覚めの午前七時の薄曇りの空も嗤っている。いまの季節アチラはマイナス10度だそうだときのうひさしぶりに昼メシをいっしょに食べた知人がそのまた知人の中国吉林省にわたった人の消息を教えてくれた。アムール虎を見にいつかは出かけてみたいとわたしは答え、そのすぐあとに荒々しい国境の山岳地帯を頭に浮かべた。「それにしてもひどいね」とわたしは話題をふる。「微罪逮捕が横行している、すっかり警察国家になってしまったみたいでどうも居心地が悪い」と。じっさい帰ってきたわが隣人にしても、できの良くないチンピラ悪童を懲らしめた行為が留置場送りだ。少し前までの民事不介入なぞもはやどこ吹く風のタヌキノキンタマで、いたるところでオイコラ巡査があばれまわっている。「ああまったくヤな世の中になったなあ」と相手もふかくうなづく。といって目先の赤信号がデジタルの鮮明な「赤」をともらせれば、渡る世間の交通信号も同じような具合にルールの♪とうりゃんせを合唱せざるをえないのだ。そもそもがどうだろうか、四つ辻に信号機をつけたために人も車もオノレの肉眼で風景をしっかりとみることを却って忘れてしまい、信号機の点滅ばかりに注意が向くようになるというのは生き物の皮肉な道理なのではないのか。結果、むしろ信号機のない時よりも事故はふえてしまうのではなかろうか、嗚呼!まったく「確実性の問題」ではないけれども、盲人に両手がありますかと問われて両手を見るか否かという問題はのこるのだ。またたくうちにカラスが飛び立ち羽音だけが残って、外苑前の銀杏並木のあざやかな黄色がしっとりと朝露に濡れている。さて、切れた煙草の箱を通りに投げ棄てて、臭い排気ガスをからっぽの肺と頭におもいきり吸い込むことにするか。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.11.18 07:12:18
コメント(0)
|
コメントを書く
もっと見る