あれは何時頃だったのか。いまでは時刻もわすれてしまった。着メロなどではなく切り裂くようにベルが鳴ってパパゲーノは開演の幕間にリュックを背負った。ぶっとぶ車を奔らせて闇に向かう速度はうしろ向き。左中指人差し指にはさんだタバコを座席ソファ背に押し潰し着ていたのはあれはたしかにトレンチコートだった。それから車中で無線電話回線が呼び出し音を鳴らし続け親不孝なパパゲーノは道化のまんまに仮面の人生を生きる。すでに闇も火の粉もなく雪もちらほらいやただまっ黒い焼け跡があった。タバコの焦げ痕…人生の焦げ痕、くすぶりつづけたその前日のうちに三十二年がたちまち流れそしてきのうの「今日」がある。あれは「事件」だったのか? 然り。まさしくあれこそが「事件」だった。ひかったかとおもえば忽ちに空は崩れふたたび日の光が射しだして暖冬が国道へ通じるけもの道の土砂崩れのなごりに紫色のちいさな花を十二月の大気にかかげていて、なるほど七百年の時空間がえにしの不可思議なよじれを演出し、ここがあそことなりそこが彼の地のあの夕暮れの舞台の上に遺されたわたし自身の焼け跡だった。なるほどあの日に焼け出されたのは母ではなくて、確かにわたし自身であったはずである。…そうして、あれからこっち境界線のむこうとこっちとそのひかれた白い線の目にはけして見えない領域Rの彼方から聞こえてくる彼女の叫びを、朝起きてはみそ汁とともに啜り込み、近未来な詐欺師たちのデジタル世界の現在(いま)を、それから生きた一週間たらずを、牛の胃の如くプレイバックしつづける。
(写真はジャン・リュック・ゴダール「映画史」より)