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2004年07月05日
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【第999夜】 2004年7月5日
ホメーロス
『オデュッセイアー』

1971 岩波文庫
Homeros : Odysseia 紀元前9世紀前後?
呉茂一 訳


 挿話1。およそ35年ほど前のことになるが、倉橋由美子さんを訪ねて高校生に読ませたい1冊を選んでもらいにいったとき、即座に、「それなら、やっぱりホメロスね」と言われたことが、いまなお耳の奥に残っている。ホメーロスではなくて、ホメロスだった。
 高校生のための解説原稿を書く必要もあって、慌てて読んだ。呉茂一・高津春繁訳の筑摩版世界古典文学全集だったのがよかったのか、初めてギリシア神話の流れにすうっと入っていけた。
 訳がよかったというのは、ここに採り上げた文庫版も同じく呉茂一の訳ではあるのだが、たとえば冒頭、「さればこの両人を闘争へと抗(あらが)いあわせたのはおん神か、レートとゼウスの神」となっているところ、筑摩版では「だが、いったい、神々のうちのどのかたが、この二人を向かいあわせて闘わせたのか。レートとゼウスの御子のアポロンである」というふうになっていて、なんとか筋が追えるようになっている。
 ホメーロスの叙事詩は、ギリシア神話の長短短律の六脚韻による「綴合」(てんごう)というものが命であるのだが、それを忠実に反映した邦訳は、初めて読む者には辛すぎる。やはり、最初は物語が掴めなくては話にならず、とはいえ意訳や翻案や抄訳では、そこに語り部ホメーロスがいなくなる。ぼくとしては、まあまあの出発だったのだ。「やっぱりホメロスね」は本当だった。

 挿話2。しばらくして、スタンリー・キューブリック(814夜)の『2001年宇宙の旅』の原題が “Space Odyssey” であることから(91夜)、ボーマン船長の宿命とオデュッセウスの帰還が重なって脳裏にこびりつくようになった。
 オデッセイとはギリシア語のオデュッセイアーの英語読みで、「オデュッセウスの、歌物語」のことである。
 それにしても、なぜ、キューブリックはオデュッセウスの歌物語を宇宙に運んだのか。それがなぜ、リヒャルト・シュトラウスの『ツァラトゥストラはかく語りき』なのか。なぜ乗組員は行方知れずになって、ボーマン船長はまるで胎内回帰をするように幼児となり、かつ、老いた翁になったのか。
 謎も興味もつきなかったのだが、この相手はでかすぎた。どうもギリシア・ローマ・ヨーロッパの全知に関係がありそうなのだ。ちなみにこのころは、マリオ・カメリーニの『ユリシーズ』を捜し出して、カーク・ダグラス主演の映画を何度も見たものだ。
 余計なことだが、ごく最近公開されたヴォルフガング・ペーターゼンの『トロイ』では、ブラッド・ピットはアキレウスではなくて、オデュッセウスに扮するべきだった(プリアモスがピーター・オトゥールなのは、よかったけれど)。


 挿話3。それからまた10年ほどたったころ、ぼくはギリシア・ローマ神話の全貌に単身で立ち向かっていて、汗びっしょりで悪戦苦闘していた。模造紙一枚ぶんに黒赤青の細かい字で神話構造図をつくっていたのだ。オリュンポスの神々とティターン一族をめぐるノートは3冊くらいになっていたろうか。
 ぼくには、たえずこういう癖がある。『神曲』(913夜)も、『南総里見八犬伝』(998夜)も、『大菩薩峠』(688夜)も、ある時点にくるとたいてい図解したくなる。いや大作ばかりではない。ユダヤ教の歴史や「あはれ」の用例や地唄の変遷も図解する。そういう図解はしだいに溜まっていって、あるときそれらをしだいに付き合わせていくのが楽しみになっていく。
 しかしこのときは、ギリシア・ローマ神話全体に対する興味だったので、オデュッセウスの物語は浮き上がってはこなかった。

 挿話4。こうしてややあって、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』に魅せられたとき、ついにオデュッセウスの物語構造を詳細に見ることになった。
 いまさらいうまでもないだろうが、ギリシア名オデュッセウスは、ラテン名がウリクセース(Ulixes)、英名・仏名・独名がユリシーズ(Ulysses)である。ロンドンに行ったとき、白地に “ULYSSES” と大書した大型車が走っていたのを見たことがあるが、引っ越し屋であった。なるほど、オデュッセウスの物語がもつひとつの本質である “移動” に肖(あやか)ったのであろう。
 ジョイスはとんでもないことを考えた。オデュッセウスを二人の人物に複相させて、同時にダブリンの町に出現させた。22歳の作家志望のスティーブン・ディーダラスと38歳のユダヤ人のレオポルド・ブルームである。二人はそれぞれオデュッセウス(=ユリシーズ)の顔をもっていて、6月16日のダブリンの町を動きまわる。ジョイスはオデュッセウスの物語を、たった一日に凝縮してみせた。
おまけに『ユリシーズ』の章立ては、1)テレマコス、2)ネストルに始まって、3)プロテウス、4)カリュプソ、7)アイオロス、11)セイレーン、12)キュクロプス、15)キルケ、16)エウマイオス、17)イタケというふうに、順番こそ適当に入れ替えているが、まさに『オデュッセイアー』の物語の登場人物や出来事とそっくり照応されている。
 これは読めば読むほど、考えれば考えるほどに、病気になりそうな、一世一代前代未聞のオデュッセウスの読み替えなのである。

 しかしながら、このディーダラスとブルームという双頭の二人が、さてどこまでホメーロスの叙事詩を追想しているのか、それを感じ取るには、ジョイスはあまりに実験的で、ぼくからは、その、きっと符合や符牒がわかればぞくぞくとするであろうアクロバティックな対応が半分しか、いや3分の1くらいしか、見えてはこなかった。
 T・S・エリオットによると、『ユリシーズ』は細部になればなるほど『オデュッセイアー』との平行的対応を克明に再生させているというのだが、そこがもうひとつ掴めない。しかも正しくもエリオットは、『ユリシーズ』は「古いから凄い」と言っているだけに、これはいかにも悔しいことだった。
 秋成の奥に中国の白話や西行伝説を読み(447夜)、馬琴の奥に日本神話や中世伝説を読むというのなら(998夜)、
 これはまだしも日本語の観念連合性をもって深められないことはない。それがホメーロスとジョイスとなると、お手上げなのだ。これはジョイスはジョイスとして楽しみ、それとは別に『イーリアス』や『オデュッセイアー』を啄んでいくしかないと思った。

 挿話5。やがてぼくは日本文化に対する関心を深めていくのだが、それでもギリシア・ローマ・ルネサンスをどう見るかというのが、日本文化を解読するうえでの、つねに鏡像の過程になっていた(911夜)。
 そこで導きの糸となったのが、ひとつは西脇順三郎(784夜)が寄せたギリシア精神の表象の仕方と、もうひとつが晩年の呉茂一を囲んでつくられた季刊誌「饗宴」に集った高橋睦郎さん(344夜)や多田智満子さんの、ギリシア神話に寄せた日本語の実験だったのである。
 なにしろ高橋さんは22歳のときの処女詩集がミノタウロス幻想をめぐる『ミノ・あたしの雄牛』であり、多田さんには思索詩ともいうべき『オデュッセイアあるいは不在について』の連作がある。
 ぼくはこれらの詩作に助けられ、そうか、なるほど、日本語による思考にもホメーロスの六脚韻の秘密を嗅ぐことができる余地と隙間が穿たれているのか、という展望をもったものだった。

 こうして、挿話を5つほど集めれば、ぼくのささやかなオデュッセウス探検が東西をまたいで始まったということになるのだが、やはりのこと、この方面だけでも、入っていけばいくほど途方もない世界が待っていたわけで、いまだに、その2、3丁目をうろうろしているとしか思えない。
 そもそもギリシア・ローマ神話が広すぎるし、そこには幾重にもわたる知の複雑骨折が何層多岐にもおよぶ意表をつくっていて、しかも、これが一番厄介なのだが、神名やその事跡に出会うたび、そこから猛烈な勢いでギリシア語やラテン語やその後の英仏独語が放射状に発散し、その言葉のひとつずつが全欧文化史のありとあらゆる場面に突き刺さって、そこに独自の「概念の森」の変更が何段にもギアチェンジされていることが多すぎるのだ。
 そのプロセスにつきあわされるだけでも、目が眩む。いくらメモをとろうとも、まにあわない。
 そんなわけだから、ここはやっぱり倉橋さんが言ったように、高校生くらいのときにホメーロスを読んで、その香りと味に幼く接しておくような、そういう付き合いをしておくべきだったのだ。
 が、いまさらそんなことを言っても詮ないことで、ぼくはあいかわらずキューブリックやジョイスや高橋睦郎の勇敢を思い出しながら、オデュッセウスの旅を見る。

 さて、今夜は、ぼくにとっての「千夜千冊」終着の前夜でもある。オデュッセウスの航海とは較べるべくもないが、航海を終える者には、航海者のみが整えなければならない身支度というものもある。
 よくぞここまで無謀なことを、4年をかけて航行してきたものだとおもう。今夜にかぎってはまだ何の感慨もないけれど、それでも、あと2夜を過ぎると、そこがどこかの波止場か船着場なのだろうという程度の、なんだか見知らぬところへ来てしまったような、懐かしいところへ戻っていくのだろうなというような、そんな予感も騒ぐ。
 エリック・ホッファー(840夜)ではないが、波止場にこそ日録は残されるべきものなのだ。
 そこで、ぼくとして多少はそんな気分で、ホメーロスとその記録された叙事詩の周辺を見つめ、いくぶんは心を鎮めていきたいと、これらの電子文字をポツポツ打ち始めたのであった。
 ともかくも、ホメーロスのことから語ってみよう。なんといってもホメーロスこそは、「千夜千冊」が採り上げてきた999冊のなかで、最も古い “著者” なのである。……

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最終更新日  2004年07月05日 20時45分54秒
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