テーマ:暮らしを楽しむ(388345)
カテゴリ:My舞Life
こんにちはhappybirthday!です。
一杯のお茶に幸せを感じます。 私の年齢くらいになると 。。。というか 母がよく言っていた言葉の真意 がわかるようになりました。 父が好きだった 八代亜紀の歌も いい歌だなーっておもえるようになっています。 ” 夏を越すのって 忍耐なのよー とりあえず2ヶ月我慢していれば 必ずいい季節がくるのよ ” 厳しい寒さも然りです。 ふるさと釧路の夏は快適です 母は,釧路に生まれ,東京,神戸に住んでいたので 夏の辛さを体験しています。 母の人生も振り返ってみます。大正14年生まれです。 両親を7歳で亡くしています。一番上の姉に育てられています。 小学校は神戸で。そのあと東京の女学校に通わせてもらいました。 東京は田園調布に住んでいました。叔父がとてもモダンな方だったようです。 戦争を体験しています, 北海道に戻って父をお見合いで結婚しました。 長女を心臓病で1歳半で亡くしています。 ”内地育ち”の 母は 北海道で人生の大半をすごし 国鉄マンの父とともに引っ越しもたくさんありました。 そして 私が人生に加わります。 終の住処は私と一緒に”内地・茨城県”で過ごすこととなりました。 ここが一番田舎だったと思います 夜,車に乗って出かけると高いところから遠くの灯りを眺めると とても喜んでいましたっけ。。。星よりも街明かりが好きだったようです。 母は,土地に対しての執着がなかったからよかったです。 北海道に帰りたいって言わなかったこと。 全く違和感なくこの家に馴染んでくれました。 息子たちもそれぞれ出た後でしたから。夫も単身赴任が多くて 「The 娘と過ごす 老後」です 8月26日が命日 父の亡きあと 葬儀を終え1週間で引っ越し会社を見つけて 年金手続き,家を貸すための不動産探しだ, いろんな契約の解約(新聞が一番手強い),やればできるものです。 急いでコンテナを手配し,母の思い出につながるものを まとめてみたらコンテナ1つになりました。 残念だったのは私の思い出のピアノも処分することになったことです。 食器棚にも食器が並んだまま,書箱にも本が並んだまま 思い出のレコードも 実家っていうのはそれらがあるだけで 和んだものです。 物置にはおそらくお宝があったのでは?なんて思います。 他のものは家にそのまま残して 母をこちらに連れて来ました。 なんせ 私には2学期がまっていましたから 何もかも母には初めてなのに まるで昨日まで住んでいたかのように。 ニャンズともなじんでくれたのは助かりました。 父の癌の宣告・不安症 始まった認知症 幸い進行せずに 普通の暮らしは最後までできています。 環境です。 アルツハイマーは難しいかもしれませんが,進行を止められる認知症はあると思います。 関わり方だと思います すでに発症していたので一人では釧路に置いておけません。 幸い徘徊など外に出ることが全くなかったこと 足が痛いため歩くのが億劫だったこと 外に出たら土地勘はないのですぐ迷子でしょう。 訪問ヘルパーさんと ディサービスで繋いで入れたこと つい思い出話になりました。 孫ができて孫の面倒を見てもらったのも 母が60代を過ぎてから。よくおんぶをして お留守番をしていてくれました。 私がその年齢に達していますが 嫁も孫もいません。 当時 母が言葉にしていた言葉を 今 自分が口にしています。 「よいしょ」「どっこいしょ!」30過ぎた息子にラインで「ご飯食べてる?」「明日寒いけど(大雨)大丈夫?」「コロナ大丈夫?」 ・・・・ 窓を開けていると 夏の終わりも感じられるようになっています。 午前中は扇風機が働いてくれています。 母のおでかけ不精まで 私はうつっています あちこち出かけているように思われますが それは目的がある時だけ。 ほとんど家にいますよ。 食事も冷蔵庫あるものメニューがお得意です。 ソファでゴロンとしてしまう姿は 夜9時ごろ 母が ソファで横になっていました。 よほど疲れるのですよ。。。 ”寝るならお布団で寝て”,,,って 言ったものです。12時過ぎてから またガタゴトいろんなことをやっていました。 今でいうショートスリーパー 今私もソファでごろん しています。 夏の終わりは 母を思い出します。 とうきびご飯 とうもろこしもそろそろ終わりですね ついおかわりをしたくなりますよ。 本日はこんな1日でした。 最後まで読んでくださってありがとうございます。 明日も変わらない朝がきますように ↓こちらに参加しています。よろしかったら私に顔にポチ!いただければ幸いです。↓ にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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