カテゴリ:日記
先月、中学時代の同窓会が行なわれた事は このブログにも書きやしたが、 その際、3年生の時の担任の先生方にも ご出席をお願いして、 8クラスあった内の4名の担任にお越し戴きやした。 残念ながら、あっしの担任の先生は 現在は既にお亡くなりになって ご出席は適いやせんでしたが、 担任の時の その先生は、部活の先生よりも あっしにとっては恐怖の先生でした。 2年の時、放課後に誰もいない校内で、 友達3人とふざけていて、 いきなりこっぴどく怒られて 3人とも、びんたを食らった事があり、 実際、びんたはそれほど痛くなかったのですが、 あっし、その鬼のような形相にびびって 涙が出そうになりやした。 いや、きっと泣いていましたとも お祭りの時の 見世物小屋で どデカイ閻魔大王を 初めて見たときに、ビビッて 大泣きし、小屋を飛び出したことがありやすが ちょうどあの時の感じですなあ。。(笑) その先生が、3年の時に 自分たちの担任になると判った時は お先真っ暗でやんした。 しかし、3年になったとたん、 恐い顔は 確かに恐かったが、 その先生は、じつにおおらかで優しいという事がわかった。 友達のW君が、特に成績優秀というわけではなかったが、 物怖じせず、ハッキリと自分の意見を言える クラス会長になった。 F君が、ホームルームで変わった。 それまで話しをしないタイプではあったが、 人の長所を引き出すのが上手な先生が 彼を変えたのだろうと思いやす。 F君はクラスの人気者になった。 じつはこの2人、あっしと一緒に この先生にびんたを食らった友達でやんす。 あっし、中2までは若干 他より身体が大きいほうだったので よく暴力で人に怪我をさせたりしやした。 2年の修学旅行の時、担任が 「いじめっ子K君の監視を頼む」と言ってきやした。 Kは、担任の手に負えないほど凶暴で、 時に刃物を持ったりするから だれも注意したりしない。 そのKにゲンコツが出来るのは 幼なじみのあっしぐらいでしたから。 旅行の最終日に手製のヌンチャクを振り回して Kが大暴れしやした。 男子の大部屋で、みんなが震え上がっている。 たしか、一人がてんかん持ちで、その時気を失った(・・・記憶違いかも)。 あっしが昼間の監視で疲れて眠っていたのを見透かして Kは、やりたい放題に暴れていたのだ。 クラスの一人が、あっしを起こしに来て、 「なんとかしてくれ。」と頼みに来た。 あっし、騒いでいるのには気付いていやしたが、 いかにも面倒くさい。 がばっと起き、 『 うるさいんだよ。静かにせえや! 』と怒鳴りつけると Kはヌンチャクをまた振り回して来やした。 何発か身体に当たったけど、突進していく身にはこたえない。 タックルして そのまま押し倒すと そこにある旅館の布団にくるんで、 上からドン、ドン、としてやりやした。 しかし、やっぱ、傍目から見て「やり過ぎ」だと言われやした。 はたして あっし、 次の日から、クラスの男子全員から白い目で見られやした。 ・・・楽しむべき修学旅行で見せた、あっしの醜態。 ちからマカセに人に暴力を振るった事に対する自己嫌悪。 それ以来、人と喧嘩するのは避けて来やした。 それまでは、口より先に手が出るクセがあったので 短気な性格を抑えるのは大変でやんした。 3年になって、変わる事ができたのは その先生のお陰だと、今でも思っていやす。 ・・・久しぶりに、中学の時のアルバムを見ようと思って 探したが、どこへ行ったのか見つからない。 しかしあっしが、たしかに覚えていたことがあった。 それは、墨で書いた 「 迫 力 」という2文字でした。 なつかしくも、教室の黒板の横に掛けてあった額の中に 先生が書いた字でやんす。 学校を卒業してから、あっし、何度もアルバムを開いていやしたから 何回か、目にしていたのですが、はっきりと覚えていやす。。 たぶん、 『 何でもいいから、男子も女子も、 迫力を持って生きてくれ 』 ・・・とあっしらへのメッセージを残したんやろうと思いやす。 それがどうしたんや、ということでやんすが、 昔から 「蛮勇」とか「匹夫の勇」という言葉がありやす。 「根拠のないハッタリ」ばかりで生きる人。 「威勢だけは良いが中身のない人」が、いかにも多い。 ・・・つまらない事で虚勢を張って、人を騙していく奴の いかに多い事か。。 本当の迫力というものは、 大切な人を守るためにある ・・・と、あっしは思いやす。 自分の強さを誇示したり、 弱いものいじめのために使うのは 迫力でもなんでもない、 と教えてくれたのが、先生その人でしたから。。 今は先生に、「ありがとうございました。」 と、こころから言えやす。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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