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カテゴリ:日常
最近葬式に行くことが結構ある。 こういった小さな村では、大体皆知り合いで冠婚葬祭への参加が結構多い。 昨日、友達のおばあさんが亡くなったと連絡を受けて急いで彼の家族のところへ行きました。 享年101歳、102歳の誕生日を目前にして突然なくなったとのこと。 ちょうどこのおばあさんが100歳の頃私はBARで彼女をみかけ、彼女のほうから元気に「こんにちは」と言われたのを覚えている。100歳なのにスゲーなというのが第一印象だった。 ここの(ボネッフロ)の葬式は、人が亡くなると普通、ごく身近な人たちで日本のお通夜みたいなものが行われる。家族宅へ行き、亡骸と一晩過ごす家族にお悔やみの言葉を伝え。翌日の葬儀に備える。次の日はまず教会へ行きMessa(ミサ)に参加、これがFunerale(葬式)となる。ミサが終わるとCimitero(墓地)へと向かう。埋葬をするんだけど、地面には埋葬しない(するときもある)。大きな壁があって、その壁に棺おけサイズの穴があり、そこに棺おけを入れる。そして蓋をし、セメントで完全に隙間をふさぎ死者と最後の分かれをして葬儀は終わる。 友人の涙を見るのは辛かった。 帰り道なぜだかこんなことを考えた。 日本若者の自殺について。要因は教育制度など色々だと思うが、日本の家族形態も大きな要因では。核家族が極端に進んだ日本、核家族というよりも、個人のみみたいなところがあるような気がする。ごく身近な人がなくなっても、ちょっとした知り合いが亡くなった程度の感情くらいしか浮かばなかったりする。「身近な人の死」を目にする機会が非常に少ない。目することはあってもその人と生前、共有した時間や空間(思い出)そういったものがないので、特別な感情が浮かばない。更に死に対する「よく分からない感情」「大したこと無い」といった感情。そこから「死」が日本の若者の選択肢のひとつになり得たんじゃないのか。 と、こんなことを考えながらてくてくと田舎道を歩いていた。 毎日大家族に囲まれて暮らしたあのおばあさん。 孫にもひ孫にも恵まれたおばあさん 幸せ者のおばあさん。 後は安らかに、と祈るだけ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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