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カテゴリ:【業務連絡】
生きている物はいつかお別れがあります。
そのお別れの様子をどういう形にするかイメージにありますか? 私はお客様の命の別れを見聞きして、 自分の飼育の子の状態を見て思うことは 飛行機の着陸でいうのなら スーット大地に降りていくように、 スーッと消える穏やかな最期が私の理想です。 寿命の長さは長く生きることができる子もいれば 元々できない子もいます。 やれることをしてスーッと終わる。 お話を聴いてしっかり獣医さんと接し、 獣医医療のおかしなところもなく、 飼い主さんもやれることをやれば あとはスーッと命が消えるのを受け入れるのが私はいいと思います。 獣医医療のオカシナところと言うのは これまでも記しているようにやるべき治療、検査をしていない おかしな薬を利用しているなどチェックすることは多数あります。 それでも、確かにやっていることは真っ当だなと思えば 他にやれることが私の知識のなかでなければ 私の中の医療的限界を迎えます。 もちろん、高度医療と言うものもありますが それはそれをしたからと言ってどうなるかは 判断は加えて「充分」していますよ。となればありです。 スーッと滑空をしてきて着陸をする。私の理想はそんな最期です。 いろんな最期を見ます。 それは命の数の分、最後があるからです。 私はなるべくその子に「良い」最期を迎えてあげるのが大切だと思っています。 と言うのも動物は感情も、考えも、記憶も、人間と同じようにあると思っています。 豚を例にすると、うちのコロは食べ物がどこに実っているのか覚えていて そこに意欲的に向かいますし、道も覚えれば家も覚えます。 家も覚えれば、名前も覚えます。 名前を覚えていて遠くから呼べば「ぶーっ」て返事もします。 でも、気に入らなかったら近くで呼んでも無視をします。 自分には考えがあるんですね。 感情もあれば、考えもあれば、記憶もあるんですね。 決して動物は愚かな存在ではないし 人間だけが特別な存在ではないってことです。 私は敷地を13か所以上あって、広いところもあれば小さいところもあります。 コロはその草管理のためにお迎えをして 順番に連れていっては樹につないで周囲を食べさせてキレイにします。 ある場所には電気柵があって、紐に電気が通っているのが 水平に2本通っています。その場所を帰りに通過することもあるのですが 電気柵は危険と言う認識が本人がなかった頃にそこを触って 大騒ぎをしたことがありました。 その後その道を通れなくなりました。 近くに近づくと踵を返し、制御ができない強い力で逃げるんですね。 覚えているんです。嫌なことが有ったって。 近くに住む人はコロをとても良くしてくれます。 何ってわけではないのですが食べ物を持ってきてくれて 可愛がってくれます。100mも遠くで、 姿が見えなくても声がすると斜面でも一目散で駆けて近づきます。 100mも向こうから肉団子のような姿の黒い塊が駆けてくる。 好きなんでしょうねー 普段コロが寝起きをしている山の家から、私の寝起きをしている自宅まで 歩いて連れていくことがあります。国道1号線が貫く谷間の反対側まで移動することになります。 そこに良くしてくれるこの人の家があり、コロはそこで足を止めて動かなくなります。 70kgほどある豚は、なかなか動きません。 引っ張って70kgの塊を簡単に動かせることはないのです。 それは、よくしてくれる人の家という認識があるので、 そこで動かなくなり、そちらの犬が家の中から鳴くので出てきてくれるまで 待っています。そして尻尾を犬のように振るので 喜んでいることも隠すことは全くできないんです。 家も覚えているし、よくしてくれる人も覚えている うれしいという感情も隠せません。 感情も、考えも、記憶もチャンと豚のコロは持っています。 ニワトリだって、感情も、考えも、記憶もあります。 犬だってあります。 フェレットもあります。 そうした感情、考え、記憶を上手に触れながら 私たち人との良い関係を作るものです。 私にはできませんが何ならヘビもそうした感情も、考えも、記憶が あるんだと思います。それは人間と仲良くなれるからです。 ただ、餌をくれる対象っていう給仕係と思っているわけではなく 家族としての認識を持ってくれるのです。 この「命とお別れ」で書きだした記事は、最初から 話が流れていっているの?と思うのかもしれませんが、 私は動物には感情も、考えも、記憶を持つ人間と同じような生き物であることを まず、共有認識にしたいと思って記しました。 この最期を迎える時に耳の痛い話ではあると思いますが あえて書かせていただこうと思います。 こうした温かい心のある動物を大切にしているのはわかります。 病気になれば治したいという気持ちがあるのはよく理解できます。 この、最期を迎える時に医療行為のやり過ぎはお勧めできません。 反感を買うことも承知ですが、観ていて最後は医療行為もほどほどに できればお家で温かないつもの空間で送ってあげて欲しいのです。 これは私のはお願いかな? どこまで医療行為をするのかは判断が分かれます。 それを踏まえて、 ドンドン医療行為をすればいいってわけではないのです。 入院加療をするとして入院中に亡くなることが多くあります。 これも仕方がない事情と言うのは良くわかります。 でも、考えてみてください。 普段とは違う環境で、大好きな家族がいない場所に 一人ポツンとして寂しい環境だというのはわかりますよね。 ニオイも違いますし、音も違う。家族であるあなたが声をかけてくれることもない。 入院したことあります? さみしいですよね。そんな状態に動物も置かれるのですね。 その命は私たちを家族として受け入れてくれています。 なるべく最期はお家で看取って欲しいのです。 治療を見切るのも難しとは思いますけど。 それと、動物病院に行きすぎるのも 動物にとっては嫌なものです。 連れられて行ったろことで 知らない人にこねくり回されて、 口を開けられて、お尻に体温計を入れられて 身動きを取れない状態にされて、注射を打たれ 採血をされて、、、 病院についたとたんにその苦しい記憶がよみがえり、 脱糞、おしっこを漏らすことも良く耳にします。 恐怖のフィードバックを感じるのでしょう。 怖いよーって。 ちゃんと記憶をしていますし 嫌だという感情もあるのです。 飼い主さんの中にはそういうことが有ったので 病院に行く回数を減らしたという人もいます。 その判断は個人にお任せをするとして 参考までにこんなことがありましたって情報提供です。 私はスーッと最期を迎えられるように 私たち人間は演出する必要があると思います。 それは人間の利己的なことではなく。 動物本位の終焉を迎えられるようにです。 それをどのように考えておくかです。 難しいことは望みませんが、 お家で看取るのが一番だと思うのです。 亡くなった後、後悔する人もいれば やれることをやれて満足している人もいます。 その受け止め方は同じ状態でもそれぞれですが 一つ指摘したいのは利己的な対応ではなかったのかということです。 というのも、看病に時間もつかった、 動物病院にもたくさんいった。 お金もたくさん使った。 なんなら寝る間も惜しんで介護した・・・ 状況によっては人間の満足を感じるために行動をしているように 私は思える人がいます。 「後悔していません」と言ってくる人の中に 検査も、治療をたくさんし、支出も多く 介護もたくさんした・・・でも、それは自己満足ではないですか? 同じことをしても、動物は健やかに亡なくなれることもあれば そうではないこともあります。 というのも、苦しい治療をやられ続けること。 もう、病院に行くことが嫌だよーというのに もっと生きるのよ!と、 注射を打たれ、点滴を打たれ。。。 治療の副作用で苦しんではいないでしょうか? これって一手替わりでどちらにも転んでしまうので 対応には注意が必要ですが、 第三者から見ていて人の自己満足での 行動をしていると心が痛い時があります。 もう無理だよと命を見切るのもどうかとも思いますが、 助かる見込みがなく弱っているのに、 鞭を打ち込むように治療を続けるのは違うなーと思うときもあります 獣医さんによってはこれ以上しても。。。と、 治療を辞めて自宅で看取るように進める獣医師もいて 優しい獣医さんだなと思います。 命をあきらめるのも良いも悪いもありますが 受け止めることも大切です。 ペットですから外からアアダこうだいうことは必要はないですが、 客観的に見ていてそれは私は嫌だなーと想うことは それぞれあると思います。 いずれにしても、スーッと穏やかに命の終焉を迎えられるように あれこれ考えてより良い落としどころを見つけてほしいと願います。 少なくとも人間の自己満足で苦しみを 増やさないように御留意してください。 もちろんそのつもりはないのはわかりますが 自己満足に陥りがちですので。良く考えてください お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.10.23 23:56:56
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