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いたち(医達)塾。ナルヘソサプリ 栄養管理で健康を保つ

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2020.02.01
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カテゴリ:フェレットの健康
会津の御薬園は標本園として様々生薬を植えていました。

 冬なので植物はほぼ枯れていましたが
表札を見てどんなものがあるのか確認してきました。


 私は全国の薬草園を見に行っています。
くまなく見学に行くというよりも、毎年いろいろ行っている感じです。
これまでの総数はどのくらいでしょうか?わかりませんが。


 皆さんは薬草園に行ったことがありますか?

 結構全国にあります。

 全国にたくさんあると言ったら驚きですか?


 私が全国にある。。。そういうのは
皆さんが機会があれば近所の薬草園に訪問できるってことです。


 薬草園がたくさんあるのは理由は簡単で
薬学部が有る大学には、
薬草園を持つことが義務付けられているのであるのですね


 薬学部がたくさんある東京には数多くあります。



 生薬と言っても肩肘張る植物ばかりではなく
そこらの雑草として生育して居たり、
花であったり、食材です。


 そういうことは著書に記していますので
ご一読ください。「ペットの栄養学2」



 いくつも薬草園に行くのでどこにでもある生薬と
その薬草園にない種類、他にはない種類に眼が向いてきます


 御薬園をくまなく見たわけではないのですが
おっと驚いたことが2つありました。

 それは「ジュズ玉」がある。
生薬名の決明子は「ハブ草とエビス草」があることを知ったことです。

 
 ジュジュ玉は河原に良くある8mmくらいの小さな球の植物で
言うなら価値の低い植物です。
 似た形のハト麦(ヨクイニン)が良く薬草園に育てられていて、



 ジュズ玉は川穀といい、ハト麦の劣化版の私はイメージを持っています。
ハト麦はジュズ玉の栽培品種ということで
薬草園にはジュズ玉はなくハト麦を育てているのが多く見られますが
この2品種が並んで育てていることは初めてみました。

 種を採って栽培を繰り返すとすれば
交雑してしまうのであんまりいいとは思いませんので
普通の薬草園ではハト麦バカリなんだと思います。

 ですから、2品種あるのは驚きました。


 もう一つは決明子。


 歌手のケツメイシはこの生薬の名前から付けたと言いますが
私は植物名はエビスグサだと思っていたのですね。
お茶にする時にハブ茶とも言いますので
ハブ草も・エビスグサも同じ植物の名前違いだと思っていました。


 そうしたら、決明子はハブ草とエビス草と違う植物が
一つの生薬名ということを知りました。

 確かに植物も葉っぱも種も形が違っていました。
それでも違う植物を同じ薬の名前にするのも
初めて知って驚きました。


 まあ、自分の持っている知識と違うことを知ると面白いものです
本で調べていても知り切れることが無いですから
こういう経験は私にとって非常に楽しいです。


 でも、一般にはそんなことはないでしょうけどね。


 

 この会津御薬園は私が行ったことのある
薬草園のなかで今までで一番北です。


 全国行くようにしている、、、と言うのは
その地域で栽培できる薬草に差があるので
それを見に行っているのでね。


 会津で有名な生薬は朝鮮人参です。



 これは将軍から種を下賜されたのでお種人参とも言いますが
江戸時代に種が入ってきたころに日本でどこで栽培できるのか
イロイロ蒔いたと言います。


 小石川植物園(東京)や静岡の久能御薬園に蒔いたという記録を読みました。

 久能御薬園・・・名前が記憶違いかもしれませんが
静岡の久能山東照宮のある参道入口付近にあった幕府の薬草園で
静岡には駿府御薬園と2か所ありました。


 幕府の薬草園はこんな感じです


薬園名 開設(西暦)
江戸麻布・大塚 寛永15年 (1638)
京都鷹ヶ峯 寛永17年 (1640)
長崎 延寶8年  (1680)
江戸小石川 貞享元年  (1684)
江戸駒場 享保5年  (1720)
駿府 享保10年 (1726)
久能山 享保11年 (1726)
大和 享保14年 (1729)

 
 私も図書館でちょっと静岡の薬草園事情を調べていて
この江戸時代の状況を知ったまだ調べ途中なのですが
朝鮮人参も最初に蒔き生育を確認しました。

 結果、育たたなかったのでしょうね。


 久能山は私の中学校区にあるので
資料を見ていてそこにも重点薬草園があったことを知り
驚いた次第です。ちなみにサトウキビも育てていた記録もありました。


 自信を持って情報発信できるほど、本当に調査しきれていないのですが
江戸時代やそれ以前、明治時代でも結構ですが
薬用植物を同時に全国数カ所に蒔いて、
生育する場所を調べていた記述を見ると
その場所を見に行きたくなるわけで、
 (あ、なりませんか?)
 

 生薬の王様の朝鮮人参を見に行ったのが今回。




 朝鮮人参はウコギ科で、いわゆる食用の人参はせり科なので
全く別物と考えたらいいかと思います。

 栽培には7年を要するそうで
実際はもう少し短い年数で出荷しているようです。


 今回御薬園。続く図書館で朝鮮人参と会津の資料を読んできて
知ったことは動物の健康のために有益か?・・・
 と言えばどうなんだろうって思う事ですが
初めて知って、来なければ知りえなかった事を知りました。


 動物にとって、、、朝鮮人参は使えますので
買ってきています。

 


 今回知って個人的に良かったと思うことをせっかくなので
文字にしてみますが、興味が無い方はここまでにしてください。

 せっかくならお読みください。


 会津の朝鮮人参に興味が有るのは

「幕末戊辰戦争の会津藩の活動原資が朝鮮人参にあった」

 という事でどんなもんなんだろうと
興味を持っていました。

 そのことについて詳しくは静岡で知ることができなくて
結局、会津で知ったことを元に検索をすれば
ネットに記されてもいましたが、
キッカケすらわかりませんでした。


 幕末、、、どこの藩も財政が厳しくて
借金を重ねていました。


 大河ドラマの「西郷どん」でも
財政難を調所さんかな?この人が中心になり
砂糖やら何やらしてお金を稼いでいた描写がありました。


 会津藩の資金源が朝鮮人参と知ったのは
数年前のことです。でもそのことはテレビなどで
私は知る機会はありませんでした。


 結論とすれば、会津藩の幕末戊辰戦争時は
私は財政は破綻していたのではないかと思いました。


 というのも、会津が京都守護職を受けた時に
朝鮮人参を一手に扱わせていた商人に
借金をしています。


 結局、会津戦争で藩が無くなって借金を返せなくなったので
借金で運営していたのでしょうか?

 全体の収支と資産バランスがわかりませんので
何とも言えませんが、借入金で京都守護職と
戊辰戦争を戦った。。。もちろん純収入は有ったのでしょうし
借り入れは予算の一部かもしれませんが



 あ、斗南藩は会津藩が無くなった後に
新規に設立された形になるそうです。
と言っても数年でこれもなくなりましたが。


 財政が破たんとかは私の調べの足らない想いでありますが


 とはいっても、相手の新政府軍もお金がたらなくて進軍に困り
太政官符という紙きれに価値を置き戊辰戦争を戦っていたというので



 まあ、大枠として言いたいことは、
お互いに借金をして戦争をして、
借金をして武器を買って。。。


 借金をするのは良いにしても、
国民の益になることに使えばなーと
思ったのが結論。

 細かいところはともかく、
無益な戦争、要らない武具にお金を使い
それも必要とは思いつつ、、、


 南北戦争で要らなくなった武器の購入のために支出し


 もっと、国が、国民が幸せになるように使えばなーと思うわけで
戊辰戦争があって、政治が一本化して
廃藩置県などで国の力をまとめられたが故の発展かと思えば
必要な内戦なのかもしれませんが

 ナンダカナーって思いました




 会津の朝鮮人参は清国に輸出をしていました
その当時貿易なんて簡単にできない、
幕府が許さないのに、許可を得て行い、
先ほどの借金をした商人が一手にやっていました。

 それでもそんなに長い期間ではないです。
1830年代からと言います。
幕末が1860年代です


 朝鮮人参は当初会津の農家さんが自由に栽培させていましたが
有る時期から藩の管理となり、種から栽培の様子を管理されていきました。


 

 会津地域の朝鮮人参の生産はその後ピークを迎えていきます。
朝鮮人参の組合ができ発展していきますが
東日本大震災のころに解散したといいます。

 最近まで連綿と続いていたのですね





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最終更新日  2020.02.02 00:19:26
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