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カテゴリ:【業務連絡】
同窓会があってね、私の活動をウォッチしているぞと言ってきてくれた 友達が嬉しくてね。最近ブログ書いていないじゃんと言うので その友達のために書き出しています FBと、Lineのオープンチャットの運営と、新しいブログを作っていたりして こちらは放置していました。て感じ。 その友達のためにチョット書いているシリーズです。 あとの読者さんはギャラリーね この友達はただの友達ってわけではなくて しっかりフェレットに繋がっています。 で、何?このプラモデルの写真?ってなりますね。 これはニュージャージーです。本当は同形艦のミズリーが欲しかったんですが 手に入らなかったのでニュージャージー 私がフェレットに関わる前は、エネルギーに興味があって大学に進みました。 その当時はわからなかったんですけど、そのまま行けば何か水素とか 何かのエネルギーに興味を持って研究していたりしていたと思います。 そもそもエネルギーに興味を持ったのはこのプラモデルなんですね。 当時はミズーリーを作っていたのですが、中学1年生の頃かな? そこにミニラジコンのサーバーとかバッテリーを積んで 動けるように改造をして遊んでいました。 このミニラジコンをくれたのがこの友達ネ。 元々ラジコンのプラモデルではないから、重さを紙粘土で調整して 喫水腺と水面が重なるようにして、スクリューを回すために モーターとスクリューの間をゴムで繋げて、 水がスクリューから入って来ないようにグリスを使い。 どうすれば動くかな?と一生懸命考えて作っていました。 池で走らせて、学校に忍び込んでプールで走らせて 途中、沈んで壊れては何回かタミヤ模型に持ち込んで直してもらえました。 で、そこで思ったわけですよ。広い池で途中で止まったら 引き上げに行けない、、、結構スイスイー進んでかっこいい戦艦だったんです。 電池で数分遊ぶだけではなくてもっと長く遊べるにはどうしたらいいか。 そこからエネルギーに興味を持ちました。 永久機関に興味を持って調べていましたが、 私の望みは、なるべく長く戦艦を走らせたいってだけなんで、 ソーラーパネルを付けてもいいし、ガソリンでもいいし、なんでも 良かったんですね。なので、中学でも沢山勉強して、 高校でも大学を目指してしていました。私の大学受験は2年かかりの計画で 行きたかったところがあったんですが、 直前に、浪人は嫌(できないな)だな。と思って受かっていたところに行った感じ。 大学は思っていたような学びが出来なくて早期卒業をしましたが その頃にフェレットに出会うのですね。 それは食べ物を食べてエネルギーを作り出し活動をする。 自分で考え行動をする。はてまた自分の複製を作り出す動物に 俄然興味を持ちました。なのでフェレットに私の知的興味の 全力を傾けることになったのです 例えば、目。私たちの眼一つを見てもすごいのは、 カメラってすべてを写しますでしょ。 人間の眼はどこかに焦点を当ててみていれば その他に映る存在は見えていても意識をしていない状態になりますでしょ。 それは脳のなせる業なのかわかりませんけど、 動物ってすごいなーと思っていたんですね。 そこから1998年になると、病気が治らないので そこを研究していくことになりました。 と言うことで、私の友達はフェレットに大きくつながっていますでしょ。 1996年から「君のフェレットの研究費にするように」と パスバレーフェレットの輸出元から提案されて、 ファンシーカラーと言う黒いフェレット以外のフェレットを多く扱うことになりました。 日本に来るフェレットの珍しいカラーを多く選ってくれるって話でした。 1/3はセーブル。残りはそれ以外と言う約束で 振り返って考えていると 多彩のカラーの多いパスバレーの毛替わりを多く扱うことが できた立ち位置にいたのですね。 結局、動物輸入者は色変わりの価値を感じてはいなかったので 同じ価格で販売していたのを価値付したかったんだと思います。 もし私がフェレットの販売に勤しんでいたら 私が一番豊富なカラーバリエーションを扱う 輸入業者になれていたかもしれません。 でも、私は動物販売にそんなに興味はなかったんですね。 フェレットと幸せに暮らす方法を探していたんです。 振り返って考えてみると その当時もフェレットについてはアメリカでも問題があったと思います。 最初に通訳を交えて話をしたときには 「フェレットは5年で死ぬ。死んだら繁殖できないフェレットは ペットショップから買うしかないから、事業が継続できる」 って話をしてくれて 5年しか生きないんだー悲しいなーと思ったんですね。 その5年が寿命なんだと。 でも、今は、8歳は普通に。時には10歳を越えて 最長は12歳かな? でも、平均5歳と言うのは1996年当時の感覚なのでしょうか。 もちろん寿命の長いのもいれば、短いのもいるし アメリカで動物病院でうまく管理できないのは その後に発行されるアメリカのフェレット飼育書を見れば 明らかで、「今」私ができることもその当時はできなかったし 考えすら全く正解に近くはない事を本にしていました。 また、今のフェレットの獣医師はこの当時の考えを継承しているから 治せないんですね。私はフェレットの生きる仕組みを一つ一つ調べて 見つけていったのとは違うのです。 そう思うと、私のフェレットの研究費にしなさいというのは、 将来のフェレットの事を考えて、一つ私に期待していてくれたんだと思います。 じゃあ、なぜこうなったのかと言うと 続く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.08.14 10:53:56
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