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テーマ:今日見つけた宝物(655)
カテゴリ:本、読み物、講演より
水野源三さんの生涯をつづった文「変わらぬ愛に潤されて」の中に、私が慈子さんのところで経験したことと同じことが書かれていた。 一週間に一度自分の詩や短歌を義理の妹秋子さんにノートに書き取ってもらう時間がある。 あ パチ あ か さ た な は ま や ら わ ん パチ こうして 「ふうせん」という言葉が伝わり ノートに「風船」と書かれる。 気の遠くなるような時間が必要のように思えるけれど、いつもそばにいる人ならきっとその続きの言葉を想像して 「風船のような」 ?「風船のように」 パチ という具合に出来るようになる。何より驚くことはやっぱり源三さんも1週間に1度のその時間に合わせて、自分の詩や短歌を熟考され何度も既に推敲、校正されたまさに出来上がった形でノートに書き取られるというのです。 いかに人の手と時間を煩わすことなく自分のことを進めていくか、ということを常に考えておられ、そしてそれを実行していくだけの心の目と記憶力を磨いていかれるのです。
大人も子どもも、源三を支えているのは、神以外の何ものでもないことを知っていた。それは何か大きな出来事を通してというものでなく、日常の落ち着いた、迷いのない彼の生き方を見て、そう思わずにはいられないようにされていたのだ。 源三は直接的な伝導をしたわけではなかった。しかし、信仰によって人は変えられ、神によって豊にされることを、まのあたりに実証して見せた。それは源三の力ではない。神の力であることを、人々は信じた。 この言葉、決して障害を持っている人、病気をしている人、差別を受けている人、弱い立場にある人、そういうある意味特別の人たちだけの特権ではない、と思うのです。 神さまはきっとみんなどの人にも、自分が生きている意味と喜びに気づいてほしい、と願っておられる。
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