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テーマ:今日見つけた宝物(655)
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久しぶりに9月8日、9日「気づきの瞑想」の続きです。 兄は「キリスト教とは愛の宗教だ」と言いました。 さて「心の貧しい人」とはどんな人? 兄は「心の貧しい人」は「霊において心の貧しい人」つまり「霊において心の中が空っぽになっている人」のこと。 心の奥深いところが空っぽになっていて、どんなものにも捉われることなく自由である心。自分自身にも捉われていないから、常に周りの人々の中に溶け込み共に生き共感することができる。 実は神さまも全てのものにこだわらない存在である、という風に言っています。だから行いは罪であったとしても存在そのものは常に肯定されているのですね。 貧しい心は空っぽの心。「空っぽこそが愛」それは東洋の瞑想でいう「無」の状態。
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